出発前のどーでもいいよーな話
前回は「青春18きっぷ」を使って匍匐前進で高知まで帰省したんですが、今回はスケジュールの問題で時差ボケ覚悟の航空機にしました。生まれて初めてのLCC(Low-cost carrier 格安航空会社)に乗ります。予約したのはジェットスター航空です。LCCの料金は日によってずいぶん違いがあるようですが、この日は成田空港までの電車賃を含めて高知龍馬空港までの旅費は片道1万2000円ほどでした。機内でキャビンアテンダントからアサヒスーパードライ(350ml)を購入。500円也(紙ナプキン1枚付き)。アルコールは持ち込めるんですが飲んではいけない決まりです。個人個人の機内でのアルコール摂取量を把握するためらしい。確かに、缶ビールを買うとボードに挟んだ紙にチェックを入れているようでした。客席の配置図に正の字なんかを書いているのでしょうか。何杯まで飲めるのかは不明。
その日のうちに無人の実家に行き、修理を依頼していたボイラーの動作確認をしました。キッチンで湯を出したりシャワーを浴びたり、バッチグーです。修理会社宛に問題なかったこと、修理代金の振込日なんかをメールしました。これで高知でしなければならないことは終わりです。
帰省時にいつも投宿していた「高知パレスホテル」が満室だったので「ファンキータイム 追手筋店」というネットカフェに泊まることにしました。目の前に日曜市が開催される大通りが走っています。明日は日曜日です。
翌日、軽い時差ボケ(寝不足プラス二日酔いの説もあり)のなか、日曜市で新生姜と杵つきの餅を買ってJR四国バスの「なんごくエクスプレス」に乗り込んでJR松山駅へ。松山駅からJR予讃線で今治駅へ。前回と同じく「バンビーズ」というネットカフェに早めに投宿し、明日の瀬戸内海歩きのために大人しくしていることにしました。
早朝なのか深夜なのか、愛媛県今治市を出発
おおはようございます。というか、こんばんは。早朝。というか、深夜の2時20分です。愛媛県今治市で目覚めました。前回の「瀬戸内海を歩いて渡る 〜しまなみ海道65kmの憂鬱〜」でも泊まった「バンビーズ」です。残念ながら前回と同じくイビキ地獄に落ちてしまいました。諸般の事情により詳細は省きますが、地獄から這い上がり、目覚めたというか起きたままだったというか。
2時40分ごろに「バンビーズ」を出発しました。街はまだ真っ暗です。
まずは来島海峡大橋をめざして北上を続けます。前回はジーパンだったんですが今回は歩きやすさを考慮して半ズボンを着用。めちゃくちゃ寒いです。ちょっと失敗。日が昇ってから着替えればよかったな、などと思いながら息をハーってやってみたけど白くなるほどには冷え込んでいません。ちなみにきょうの出で立ちはL.L.Beanの大昔の厚手の靴下にムーンスターのウォーキングシューズ、ワークマンのパンツにユニクロの半ズボン、おたふく手袋の半袖シャツ、ザックはコロンビアの黒い25リットル。持っているブランドの総力戦です。
来島海峡大橋を渡り大島へ
来島海峡第三大橋を渡ります。時折、大型トラックがグゴグゥゴーゴーって走り去ります。「旅」みたいな気分が盛り上がってきました。暗い海を渡る風は冷たいんですが体の奥のほうからじんわりじんわり温かくなってきました。体なのかココロなのかわからないくらいの温度です。
来島海峡第三大橋、第ニ大橋、第一大橋を渡り大島に上陸します。まだ夜は明けません。
大島は内陸部を縦断します。大島石というブランド花崗岩を産出する島です。石材の会社を縫うように延々と続く県道317号をてくてくてくてくてくくてくてと、歩いているのを忘れるくらい歩き続けます。
石材に負けじと黒いビニールシートを広げたようなソーラーパネルも東京ドーム何個分(知りません)かの勢力で島を覆っていました。
大島を縦断して伯方・大島大橋を渡り伯方島、大三島へ
大島を縦断し、伯方・大島大橋を渡ります。大島からキャンプ場がある身近島という小島に大島大橋が架かり、身近島から伯方島に伯方橋が架かっています。渡ればつながっている1本の橋なので伯方・大島大橋という公称なのでしょう。
短めの伯方橋からぐるぐると下って伯方島に上陸し、島の西海岸を歩くとすぐに大三島橋です。ぐるっと橋をのぼり、ぐるっと下ります。
瀬戸内海を自力で渡ろうとする歩行者や自転車の宿命ですが、橋に登るためにぐるぐると螺旋状に高度を上げ、島に降りるときはぐるぐると高度を下げていきます。できるだけ勾配を小さくして負荷をかけない設計なのでしょう。ガシガシと急登をしのいだりくの字くの字で取付く奥多摩の尾根とは勝手が違います。
大三島は東海岸をちょっと歩き、多々羅大橋を渡ると生口島です。多々羅大橋の真ん中で愛媛県と広島県、四国と本州のボーダーラインを越えました。生口島は柑橘類の島です。レモンやミカンなんかが緑色の実をたくさんつけている畑をぬって歩き、東海岸沿いの道を北上しました。