ある山ガールに薦められて『奥多摩 山、谷、峠、そして人』(山田哲也著 山と渓谷社刊 1760円 四六判 224ページ Kindle版1408円)を読みました。半世紀以上、奥多摩に通っている著者のエッセイ集です。「棒ノ折山」「浅間尾根」「大常木谷」「三頭山」「日本初の縦走路 笹尾根」「三窪高原と倉掛山」といった、聞いたことがあったりなかったりする名前の章タイトルが並びます。34章立てで、1章あたり5、6ページに著者の見つめてきた奥多摩の「変わらないもの、変わってもなくならない」山の魅力が物語られています。
奥多摩って広い
扉をめくるとドンと「奥多摩全域概念図」が掲載されています。わたくしの奥多摩の範囲はおおよそ『山と高原地図 奥多摩 2012年版』(昭文社)なんですが、「奥多摩全域概念図」は『山と高原地図』と比べて西にグンと遠くまで広がっています。『山と高原地図』の西端は飛龍山(大洞山)あたりまで。「奥多摩全域概念図」の西端は北から雁坂嶺、倉掛山、源治郎岳といった聞き慣れない身に覚えのないピークが並んでいます。
奥多摩を「多摩川水系を生み出した山々」と定義するとこの範囲になるようです。なんだか得した気分です。読み進めながら場所確認で「奥多摩全域概念図」を見るたびにちょっとニヤッとしてしまいます。これまでの奥多摩脳内地図の面積が広がり、視点が高くなり、誌面の向こうやそのまた向こうに見たことも聞いたこともないたくさんの尾根が眼前に現れるのです。
不遇
蕎麦粒山や三ツドッケ、酉谷山、長沢山、芋ノ木ドッケ、飛龍山など著者はいくつかの山を「不遇」の山として語っています。
例えば唐松尾山は「奥多摩の最高峰」なのにその事実を知る人は少なく足を向ける人も少ない不遇の山として紹介されています。不遇の原因はアプローチの困難さだろうと著者は分析。唐松尾山へのアプローチの移ろいと、その不遇振りががいきいきと語られています。
「不遇振りがいきいきと」というのは何だかヘンな表現ですが、著者が「不遇」を語るとき、優しく愛おしむ眼差しが向けられ、筆圧は高まります。
1973年に著者が初めて唐松尾山に登ったときのキスリングザックの重さ、荒川支流・滝川の槇ノ沢から唐松尾山への登頂、山頂から北にわずかに下った露岩からの大展望を全身に浴びながらのガッツポーズを鮮やかに追体験させてくれます。さらに「南面の明るさと、北面の鬱蒼とした原生林のまったく異なる雰囲気、風の匂いまで違う奥多摩多摩川水源地帯に共通するコケの道を歩く」とたたみ込まれたら「不遇」の唐松尾山に惹かれないわけがありません。
けれども、「不遇」だろうがなんだろうが、山はただそこにあるだけです。もちろん著者はそんなことは承知のうえで、その圧倒的な存在の頂にアプローチするための装備のひとつとして「不遇」という言葉を手に取ったのでしょう。
そして人
本書にはわたくしが山ガールなら十中七八惚れてしまう面々が登場します。
なかでも夕暮れのハナド岩でフルートを吹く青年は印象深いです。きっと『赤い波止場』の石原裕次郎と『ギーターを持った渡り鳥』の小林旭と『海の若大将』の加山雄三を足して3で割ってような、芯が強くてちょっと憂いがあるけれど明るくて抜けていて正義にまっすぐ突き進んで悪を蹴散らす、そんな若者に違いありません。フルート青年主演の映画のタイトルは『赤いフルートの若大将』、主題曲は『短調 ハナド岩』で決まりでしょう。
大ブナ別れあたりで出会った大量のワサビを背負った青年も魅力的です。長い距離を運ぶので沢でワサビに水をかけながらの運搬だと彼は著者に笑いながら語ります。眩しいです。彼の歯が岩に弾ける日原川の水のように白くて眩しいです。
ねっ、惚れますよね。もちろん著者の出会った人物はこの二人だけではありません。中学生の著者は仲間たちと初日の出を見ようと棒ノ折山に登り、山頂で盛大な焚き火をする大人数の大人に出会って暖や餅をもらい、日が昇ると大人に混じって小さく万歳を三唱します。やはり中学生のとき、初めて登頂した雲取山でロウソクの火に顔を寄せ合い、台風や雷に足止めされながら奥秩父全山を縦走してきた大学生の大冒険談にココロを振るわせます。遙か遠くに並ぶピークを一つ一つ指差しながら山の名前を教えてくれた者もいれば、雪に閉ざされた山小屋で木彫りに没頭する小屋番にも出会います。
そして自分自身の出会いに思いを馳せるとき、尾根歩きの背中を優しく押されるのです。