「位置」の大親分「日本経緯度原点」に会って三角点の誤解を3つ解く【後編】

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鷹ノ巣山の二等三角点 奥多摩じゃない山など
鷹ノ巣山の二等三角点

二等三角点と三等三角点
大きな三角網だけでは網目は荒く、精密な地図はできないので小さな三角網で日本を覆いました。中くらいの三角網の頂点が二等三角点でさらに小さい三角網の頂点が三等三角点です。四等三角点も設置されたようですが、あくまでも補助的なものだったそう。現在の四等三角点は地籍調査のためで地形図とはちょくせつ関係がありません。
「等」の数字はでっかい三角形をつくっているか小さい三角形をつくっているかの違いで優劣はありません。精度に関しても「等」の優劣はありません。小さい三角形のほうが高精度の測量ができるのは当然なんですが、あえてでっかい三角形の精度と同じにして全体の整合性が図られています。

■三角点間の平均距離と設置数

等級一等二等三等四等
三角点間平均距離45km(本点)
25km(補点)
8km4km1.5km
設置数973点
(補点を含む)
約5000点約3万1600点約7万1000点

と、ここまで高巻いたり下巻いたり、巻きに巻いて、トラバースもして、前述した①等級に優劣はありません。②三角点は山頂の場所を示すものではありません。の『奥多摩トラバース』なりの説明ができたはずなんですがどうなんでしょう。

滝子山の山頂と三角点

富士山が間近に美しく見えることで人気の山梨県の滝子山の山頂(いちばん高いところ 左)の標高は1620m、二等三角点(右)の標高は1590.27mで約30mの標高差があります。ちなみに富士山の山頂の標高は3776mだけれども二等三角点の標高は3775.51mで標高差は約0.5m弱です。

あとは③高さ(標高)は副産物です。です。三角点は「位置」(経度、緯度)を表す基準点のひとつです。地形図には標高も記載されていますが、「高さ」は強いていうならおまけみたいなものです。実際、三角点の標高は小数点以下2桁(地形図には1桁表記)なんですが、「高さ」の基準点である水準点は少数点以下3〜4桁まで公表されていて、三角点と水準点の「高さ」の扱いの違いは文字通り桁違いです。ただ、測量技術の発達とともに三角点の「高さ」もおまけといったら失礼な状況になっています。
明治期は三角点の標高を三角測量で測定していました。三角点(A)、麓の水準点(B)、三角点から垂直におろした線と水準点から水平にのばした線の交点(C)で直角三角形をつくり、水準点から三角点を見上げた仰角を測定すれば、BC間の距離は経緯度から計算できるので三角形ABCの形が確定し、ACの長さ、すなわち標高がわかる、という理屈です。
時代はぐーっと下って国土地理院は1994(平成6)年以降、GNSS測量で三角点の標高を測定し直していました。そして、2014(平成26)年4月1日に一部の離島を除く全国の三角点約10万点について標高の値を改定しました。いきなり標高がビシッと変わるのでエライコッチャなんですが、まっ、標高が変わったからといって山歩きが大変になった、楽になった、なんてことはないはずです。
三角点はあくまでも「位置」の基準点なんですが、標高の記載がないと地図の体をなさないのは確か。三角点が設置される前の地図は山の場所が違っていたりもちろん標高の記載もなく、ちょっとさびしいものでした。明治期から営々と築かれてきた三角点が現代にいきていることを思うととってもドラマチックです。

三角点のかたち
三角点の姿形には決まりがあります。明治期から何回かの改定を経て1949(昭和24)年の測量法施行規則で以下の図のスタイルに定められました。
標石=柱石+盤石+保護石で、柱石のみを標石と呼ぶこともあるそう。

標石

(左)「この標石は、一箇の柱石と一箇の盤石とからなり、三等三角点標石の場合は、二等の代りに三等の文字を用い、その形状は、二等三角点標石のものと同じである」、(右)「ここの標石は、一個の柱石と二個の盤石とからなる」。以上、『官報 1949年09月01日 大蔵省印刷局 [編]』の測量法施行規則より抜粋(図中の色文字は『奥多摩トラバース』)。

改定があるたびに既設の三角点をつくり直すなんてことはなかっただろうから山中で見かける三角点はいくつかのタイプが混在しているはずです。同じ時期のものでも設置場所の環境によっては保護石がなかったり、一等三角点の下方盤石が省略されたりしていることもあるようです(どこかで読んだんですが忘れました。出典不明)。

■三角点のサイズ(cm)

種類ABCDEF
一等三角点標石822161214112
二等・三等三角点標石151861183611
四等三角点標石12154815309
一等三角点

一等三角点の模型。「地図と測量の科学館」に展示されているものです。下方盤石は省略されています。

鷹ノ巣山

鷹ノ巣山の二等三角点

鷹ノ巣山(東京都)の二等三角点。標高は1736.60m、基準点名は長澤。柱石はなぜだか石積に載っています。手前に十字が彫られた盤石(四角い石板)が見えます。盤石は水平に見え、移動したとは考えづらいので十中八九、柱石の元の場所は盤石の上だと思います。盤石の十字の交点と柱石の十字の交点がビシッと重なるようにして、盤石の上に柱石が設置されていたはずです。長い年月の間に地表が侵食されて柱石が倒れ、ハイカーによって石が積まれて上へ上へと祭り上げられたんじゃないでしょうか。

鷹ノ巣山の「二等三角覘ノ記」

鷹ノ巣山の「二等三角覘ノ記」。先の雲取山の「一等三角点の記」とはずいぶん趣が異なります。「二等三角覘ノ記」によると標石は1899(明治32)年に埋設されています。氷川や日原で作業員を1日50銭で雇ったこと、陸地測量部は1896年から標石に小豆島産の花崗岩を使うことに決めたけれど鷹ノ巣山の標石は三河産(愛知県東部)、氷川には旅館が4軒あるけれど三河屋(現在も「氷川郷麻葉の湯 三河屋旅館」として営業中)がオススメ、みたいなことも書かれています。標石が改修されるとこの点の記も雲取山の「一等三角点の記」のように改定されるのでしょう。

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三角点ができるまで
三角点は選点造標埋標観測という工程を経て完成します。
選点:見通しがよくて周りからもよく見える場所を探すこと。
造標:選点した場所に観測しやすく、観測されやすくするやぐらてんぴよう)を建造すること。
埋標:標石を埋設すること。
観測:他の三角点との間で三角測量をすること。

覘標

覘標。等級ごとに覘標を建てる敷地の広さや構造の仕様が定められていました。『官報 1890年04月17日』(大蔵省印刷局 [編] 日本マイクロ写真)より抜粋。[国立国会図書館デジタルコレクション]

覘標の設営

覘標と測量

上下の写真はどちらも1925(大正14)年、山梨県南都留郡の大群山(大室山)に二等三角点が設置されたときの記録。上は測量機器の運搬の様子。下左は観測の様子。下右は造標された覘標と測量隊。『陸地測量部写真帖』(陸地測量部 [編] 陸地測量部 昭和7)より。[国立国会図書館デジタルコレクション]

覘標

(左)覘標建設の様子。(右)関東地震が発生した翌年の1924(大正13)年、復旧のための測量で建設された覘標。測量機器を設置する机板まで26mもの高さがありました。
鷹ノ巣山の「二等三角覘ノ記」によると鷹ノ巣山では雲取山、酉谷山(天目山)、川苔山、大岳山が見通せる場所が選点され、三角測量が行われました。約3.6m四方の底辺をもった高さ6.6mの覘標を造標したことも記載されています。材料のスギの丸太(細い方の先端の直径7,5cm、長さ7m)は何本必要だったか不明だけれども1本50銭、作業員の日当と同じ値段でした。[国土地理院]

とんでもない労力と時間と予算で設置されてきた三角点一つひとつにめちゃくちゃ濃密なドラマが詰まっているに違いありません。

大切にしましょう三角点
1949(昭和24)年の測量法第22条には「何人も、国土地理院の長の承諾を得ないで、基本測量の測量標を移転し、汚損し、その他その効用を害する行為をしてはならない」と規定されています。違反して三角点を勝手に移転したり壊した場合には「二年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する」と61条にあります。軽くはない刑罰です。三角点はタッチするくらいにしておき、尻を載せて休憩したりトレッキングポールで突っついたりしないほうが吉です。

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