おはようございます。2024年5月22日(水)です。永田町駅2番出口から約5分、東京都千代田区永田町1-1-2 国会前庭北区内に立っています。国会議事堂や国立国会図書館の近くです。日本の「高さ」の総元締、大親分「日本水準原点」に会うために空は広く緑に囲まれた都心の芯にやってきました。
測量の日
「日本水準原点」の一般公開
きょうは6月3日の「測量の日」にちなんで年に1回、「日本水準原点」が一般公開される日です。土地の測量の基準や測量結果の利用方法を定めた「測量法」が公布されたのは1949(昭和24)年6月3日。1989(平成元)年に「測量法」公布40周年を記念して建設省(現国土交通省)が6月3日を「測量の日」としました。
測量法によって「測量の原点は、日本経緯度原点及び日本水準原点とする」と定められています。高さの原点、標高が「0」というものをこの目で見てみたい、ぜひ見てみたい、と公開日をココロ待ちにしていました。
日本水準原点が格納された建物(日本水準原点標庫)はローマ神殿風の石造りです。大きさは4m弱四方で高さも約4m。住むにはちょっと狭いけれどどこかの峠にこんな東屋が建っていたら腰を抜かすほど驚く、そんな建物です。1891(明治24)年、当時の参謀本部陸地測量部の敷地内に建設されました。
いよいよ大親分とご対面
ちょっと汚れた水晶板
外に出て表に回りました。さすがにこちらは人が多くにぎやかです。みんなの視線はオーブントースターみたいな扉がパカリと開いたその中に集まっています。
扉の中には舟形台座が見え、真ん中に縦長の水晶板がはめ込まれています。遠目からはただの頑丈そうな石と透明なかまぼこ板です。しかも水晶板は裏側が染みでなんだか薄汚れています。けれどもこの水晶板こそが日本の標高のすべての基準となっている総元締、大親分なんです。
水晶板には細密な赤い線とともに「0」という文字が刻まれています。富士山の標高もウトウの頭の標高もバーガ森の標高も、もちろん尾根歩きで遭遇する標高点もここのこの「0」が基準になっています。
目盛りの数字をよーく見ると逆さまになっています。これはかつての水準儀(2点間の高低差を測定するための測量機器。水平を調べる水準器が付いた望遠鏡)を覗いたときに正立像で見えるようにしたため。「測量の日」のジャケットを着た係員が説明してくれました。また、水晶板の汚れに関して、水晶板をはずしてキレいにできたとしても完全に元の位置に戻すことができるかどうか技術的にいまは不明、なのでそのままにしているとのこと。
水晶と花崗岩
日本水準原点の水晶板は山梨産、水晶板をはめ込んだ花崗岩の舟形台座や正八角台石は小豆島産だそう。国家的事業だし半永久的に使用するものだからどちらも極上品が吟味され、名工の手で精密に加工されたんだと思います。
水晶板の大きさは長さ25cm、幅5.5cm。加工前の水晶はとんでもなく大きなものだったんじゃないでしょうか。
小豆島産の花崗岩は風化しにくく美しいため水準原点ばかりでなく全国の多くの三角点の標石に使われたらしい。現在も利用されている1911(明治44)年に設置された沖縄本島北部の一等三角点「与那覇岳」も小豆島産の標石を埋設した記録が残っています。『瀬戸の花嫁』は全国各地に嫁いでいったのです。奥多摩の山域でも小豆島産の花崗岩に出会っているはずです。と思って調べてみたんですが見つかりませんでした。そのあたりの詳細は三角点の話になるので別稿にしたいと思います。
目盛り「0」は0mではなかった
標高0mはどこよ
なんだか話がかなり逸れた気がしますが、まっ、気にしないことにします。
日本水準原点の目盛り「0」をこの目で見られたのでまずは目的達成なんですが、この「0」は決して標高0mではないことに気づきました。
現在の目盛り「0」の標高は24.3900mだそう。1981年の水準原点を設置した時に目盛り「0」の標高を24.500mに設定したんですが、1923(大正12)年の関東地震の地殻変動で水準原点が86mm沈下したことが確認されて1928(昭和3)年に24.4140mと改定、2011(平成23)年の東北地方太平洋沖地震による地殻変動で24mm沈下したため同年に水準原点の標高は現在の24.3900mに改定されたということです。てこでも動かないように設置された水準原点ですが、プレート規模の変動にはあらがえませんでした。
水準原点の標高は測量法に基づく施行令の第二条2の二で定められていて、変更がある場合はそのつど書き換えられています。現在の表記は「原点数値 東京湾平均海面上二十四・三九〇〇メートル」。また、施行令では地球の形状をも定めていて「長半径 六百三十七万八千百三十七メートル 扁平率 二百九十八・二五七二二二一〇一分の一」。世界的な地形の整合性をとるために地球規模の基準をビシッと決めておかないといけない時代なのでしょう。
霊岸島で観測した東京湾の海面の高さ
それじゃあ標高0mってどこか。「日本水準真原点」みたいな場所があればいいんですが、そんなものはありません。実は、測量法によって離島をのぞき、東京湾の平均海面を標高0mとすることが規定されています。
測量法の公布以前も東京湾の平均海面が標高0mとされてきました。日本水準原点の設置時には、隅田川河口の霊岸島(現在の東京都中央区新川)で1873(明治6)年から1879年までの6年間に観測した海面の高さの平均値(1.1344m)を用いて24.500mという数値が設定されました。海に設置した量水標という長くて丈夫(多分)なものさしの目盛りを目視して海面の高さを読み取ったらしい。観測の頻度はわかりませんが、その勤務体制はどんなものだったのでしょう。めちゃくちゃキツそうな気もするし、副業もOK! みたいな気もするし、ちょっと気になるところです。
気になりついでに標高0mを決定したかつての霊岸島に行ってみました。永田町駅から有楽町線に乗り、新富町駅からテキトーに歩いて20数分。量水標が設置されていた場所にいまは霊岸島量水標モニュメントが立っています。
霊岸島での本来の観測業務ははるか以前に終えています。現在、国土地理院の海面の昇降を観測する験潮場(気象庁は検潮所という語句を使っていて観測地点は全国に約200)は全国に24か所あり、なかでも日本水準原点に強い結びつきがあるのが明治27年7月に開設された神奈川県三浦市の油壺湾にある油壺験潮場です。日本で2番目に古い験潮場(いちばん古いのは宮崎県日向市の細島験潮場で同年1月の開設)です。
過去には、1900(明治33)年から 1923(大正12)年までの観測結果から油壺の平均海面を算出し、日本水準原点の高さの検証を行い、東京湾平均海面が正しいということを証明しました。この水準原点の検証は定期的に実施されているというから油壺験潮場は日本の「高さ」の影の立役者といえるでしょう。関東地震や東北地方太平洋沖地震で水準原点の高さが変更されたときも油壺験潮場のデータで確認作業が行われました。