■映画
同小説を原作にした映画『帰れない山』(監督・脚本: フェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン、シャルロッテ・ファンデルメールシュ 147分 日本では2023年公開 オフィシャルサイト)をAmazonプライム・ビデオ(30日間の無料体験で観られます。期間内に解約すれば料金はかからないはずですが規約は変更されるので各自でご確認ください)で観ました。ストーリーは小説の筋にかなり忠実です。山の景色はもちろんのこと全編に美しいけれどなにやら物哀しい映像が流れ、ピエトロとブルーノの友情、それぞれの生き方が緻密かつ繊細に織り込まれていきます。
映画に鶏老人は登場しないけれど、ピエトロはブルーノに曼荼羅について語ります。ヘッドランプとランタンの灯のもと、へべれけになりながら木のテーブルに広げたノートにボールペンでぐりぐりぐりっとまず円を描き、8つの山とその中心にシュメール山を描いてみせます。以下、2人の会話です(日本語字幕より。字幕は小説の翻訳と同じく関口英子)。
ピ「ネパールでな 呼び止められて訊かれたんだ”8つの山をめぐってるのか?”と 彼はまず円を描いて中に直線を引いた こう言ってね”わしらの世界にはこんなふうに8つの山と8つの海がある その中心に” これを見てくれ ケツの穴みたいだがこれが彼らの世界だ その中心にこんなふうに高い山がある 須弥山だ 質問はここからだ ちゃんと聞け8つの山をめぐった者と須弥山の頂をきわめた者、より多くを学ぶのはどっちだ? 答えろ」
ブ「俺はその高い山にいたほうでお前は8つの山をめぐったほう」
ピ「そのとおりだ」
ブ「どっちの勝ちだ?」
ピ「僕だよ。いつだって僕が勝つ」
引用の間違いではありません。小説ではピエトロは偉業を達成するのはぶるーのだと言うのですが、映画では「僕が勝ち」です。この違いはなんなんでしょう。うーむ、、、。さっぱりわかりません。
ブルーノがランタンの芯を下げるとともに酒がこぼれたテーブルの曼荼羅が闇に溶けていくのは印象的なシーンです。
ピ「ネパールでな 呼び止められて訊かれたんだ”8つの山をめぐってるのか?”と 彼はまず円を描いて中に直線を引いた こう言ってね”わしらの世界にはこんなふうに8つの山と8つの海がある その中心に” これを見てくれ ケツの穴みたいだがこれが彼らの世界だ その中心にこんなふうに高い山がある 須弥山だ 質問はここからだ ちゃんと聞け8つの山をめぐった者と須弥山の頂をきわめた者、より多くを学ぶのはどっちだ? 答えろ」
ブ「俺はその高い山にいたほうでお前は8つの山をめぐったほう」
ピ「そのとおりだ」
ブ「どっちの勝ちだ?」
ピ「僕だよ。いつだって僕が勝つ」
引用の間違いではありません。小説ではピエトロは偉業を達成するのはぶるーのだと言うのですが、映画では「僕が勝ち」です。この違いはなんなんでしょう。うーむ、、、。さっぱりわかりません。
ブルーノがランタンの芯を下げるとともに酒がこぼれたテーブルの曼荼羅が闇に溶けていくのは印象的なシーンです。

まず円を描き、曼荼羅をブルーノに見せるピエトロ。(映画より引用)
ブルーノの消息に関しても映画ならではの演出があります。小説はブルーノの死を色濃く(かなり)漂わせながらも決定的な描写はなく時間は流れていきます。映画でもちょくせつ的に死は表現されません。ただ、20秒ほど、雪の消えかけた雪原で肉塊をついばむ数羽のカラスの映像が流れます。肉塊は人間か獣か判然としませんがチラリとほんのチラリと青い衣類が見えたような見えなかったような。鳥葬を想起させる強烈なカットです。
鳥葬について小説ではチベット、映画ではネパールで見聞した話になっています。なぜでしょう。映画はヒマラヤ山脈を背景にネパールを旅するピエトロの姿が鮮やかに映し出します。けれども、チベットには行ってません。きっと、チベットへの入域の手続きや予算がネックになったんでしょう。ってどうでもいいか。
高台に安置された遺体の肉をハゲワシが食み、残った骨は細かく砕いて小麦粉とヤク(犛牛)のバターで練って、またハゲワシが食み、遺体は跡形もなく、ハゲワシとともに空に舞う、とピエトロはブルーノに語ります。その時の「俺は憧れるね 鳥の餌になって幕引きだ」というブルーノの言葉が彼の死を暗示というか明示する20秒のシーンへの伏線になっています。山に春が訪れて雪解け水が流れ草木が芽吹き花が咲き、スキー板の片方が地面に現れ、そして衝撃的なカットの挿入。映画ならではの手法で事の成り行きを見せつけられます。
鳥葬について小説ではチベット、映画ではネパールで見聞した話になっています。なぜでしょう。映画はヒマラヤ山脈を背景にネパールを旅するピエトロの姿が鮮やかに映し出します。けれども、チベットには行ってません。きっと、チベットへの入域の手続きや予算がネックになったんでしょう。ってどうでもいいか。
高台に安置された遺体の肉をハゲワシが食み、残った骨は細かく砕いて小麦粉とヤク(犛牛)のバターで練って、またハゲワシが食み、遺体は跡形もなく、ハゲワシとともに空に舞う、とピエトロはブルーノに語ります。その時の「俺は憧れるね 鳥の餌になって幕引きだ」というブルーノの言葉が彼の死を暗示というか明示する20秒のシーンへの伏線になっています。山に春が訪れて雪解け水が流れ草木が芽吹き花が咲き、スキー板の片方が地面に現れ、そして衝撃的なカットの挿入。映画ならではの手法で事の成り行きを見せつけられます。

チベットの鳥葬。モザイクは『奥多摩トラバース』によります。©FishOil,CC BY-SA 3.0
誰だって「帰れない山」があるはずです。生きれば生きるほど「帰れない山」が何座も連なり、真名井北稜に長沢背稜、石尾根、タワ尾根、赤指尾根、登り尾根やなんやかんやをあれやこれやとつないだくらいじゃとうてい足りない長大な尾根になって、さらには支尾根がニョキニョキ派生するはずです。
誰も知らない地図に描かれる誰も知らない尾根のぜーんぶの長さ、ピークの多少、高低、その行程のいちいちが、自分をつくっていくのだと思います。「自分探し」なんていう言葉がありますが、あえていわせてもらえればチャンチャラおかしいです。迷った末に遭難するのがオチです。だって自分があるとすれば「帰れない山」にあるんですから。
「わたくしの尾根歩きは「八つの山」をめぐるのか、はたまた…」。読んで観た後、自分の尾根歩きについて改めて思いをめぐらしました。もちろん、尾根歩きだけのことではなく。

