小説と映画『帰れない山』の粗い粗筋と曼荼羅と鳥葬とグラッパ
■小説
『帰れない山』(パオロ・コニェッティ著 関口英子翻訳 新潮社 2018)を読みました。
著者は1978年、イタリアのミラノに生まれ、理系から映像作家、作家へと転身して2004年に短編集『成功する女子のためのマニュアル』で作家デビューしたそう。顔写真を見ると髭ぼーぼーの由緒正しい古典的な山男の風貌です。
『帰れない山』は2017年に発表された著者初の長編小説。イタリア文学界最高峰の「ストレーガ賞」、「同賞ヤング部門」、フランスの「メディシス賞 外国小説部門」、「英国PE N翻訳小説賞」などの文学賞を受賞していることが本の袖に書かれています。どういう賞なのか見当もつきませんが、かなりの評価を得た小説のようです。
原題の『Le otto montagne』をGoogle翻訳で日本語に訳すと「八つの山」になります。「八つの山」はこの小説のとても重要なキーワードです。けれども8座をめぐる山岳小説というわけではありません。北イタリアのモンテ・ローザ山麓を主な舞台にしてピエトロ(僕)と父母、友人、村人との交流がくっきりと描写された物語です。
とりわけ友人のブルーノとの付き合いは精細に描写されます。山麓の静謐な空気や激烈な自然の猛威のなかで、少年時代の牧歌的で冒険的で叙情的な時間の共有、青年になってからの読んでいてココロがひりひりする冷たい火花が散るような交流。読み進めるにしたがい、どんどんひたひたひしひし、たしかに「帰れない山」があることに気付かされます。

北イタリアのモンテ・ローザ山麓。©Mattia Verga from Pixabay
ピエトロは「八つの山」をエベレストの山中で年老いたネパール人から教えられます。団地のように積み重なった10数もの鳥籠を担いで宿や民家に鶏を売り歩く老人は籠を降ろし、木の枝で地面に図を描きます。以下、引用です。
「老人は小枝を拾いあげると、地面に円を描いた。描き慣れているらしく、ほぼ完璧な円だった。続いて円の内側に直径を二等分するように三本目と四本目の線を引くと、八本のスポークがある車輪を思わせる図ができあがった」(181ページ)。
老人は世界の中心にそびえる須弥山(しゅみせん)を取り囲む8座の山々と8つの海をピエトロに示します。曼荼羅です。そして老人は問いかけます。「八つの山をめぐる者と、須弥山の頂上を極める者、どちらがより多くを学ぶのだろうか」
とても悩ましい問いです。直登かトラバース(山腹水平移動)か、の悩みどころではありません。

数年前、東京・吉祥寺の画廊で買った「チベット曼荼羅」の絵葉書。作者、制作年ともに不詳。著作権に関して不明なままの掲載です。

曼荼羅の模型。中央に須弥山がそびえ、麓を取巻く絶壁には8座の峻峰とその間に波打つ8つの海が彫られています。フランスのギメ東洋美術館に所蔵されている『』。大きさは直径、高さともに30cm。©Ash_Crow CC BY-SA 4.0
鶏老人が曼荼羅を描くのを見て、ピエトロが東洋と西洋の図の描き方の違いに気づくエピソードが書かれています。
「自分だったらまず十字を描くだろうなと考えていた。円から描きはじめるというのはアジア人らしい発想だ」。
読みながら、なんだかこの件はストーリーから浮いていると思ったんだけれども、きっと、西洋と東洋を隔てる高く急峻な尾根をピエトロが感じ取ったことを描写したのでしょう。
確かにアジア人のわたくしは円から描きます。どうでもいいような、でも、面白い着眼です。
ピエトロが父の遺した山中の廃屋をブルーノとともにフルリノベーションに乗り出すと、少年期とはまた違った2人の蜜月が始まります。牧場経営が破綻し、妻と娘が山を去り、石積職人として生計を立てていたブルーノの主導で古い壁が壊され築かれ、屋根が落とされ葺かれます。ピエトロは屋根板に釘で「八つの山」と須弥山を描きます。以下、228ページからの引用です。
「つまり、おまえは八つの山をめぐっていて、俺は須弥山を極めるってわけか?」僕が話しおえると、ブルーノが尋ねた。
「どうやらそうらしい」
「偉業を達成できるのは二人のうちどっちだ?」
「おまえのほうさ」僕はそう答えた。彼を勇気づけたかったからだけでなく、心底そう信じていた。おそらく、彼もわかっていたはずだ。
ブルーノは押し黙ったまま、僕の描いた図をもう一度眺めて記憶に刻みつけた。それから僕の肩をぽんと叩くと、屋根から飛びおりた。
ピエトロは生前の父がブルーノと2人で数多くの山を登っていたことを知り、その足跡をひとりでたどります。そして、再生した山小屋がむかえた何度目かの冬、半世紀でいちばんの大雪を記録した冬にブルーノは古いスキー板とともにふつりと消息を絶ちます。


