今回は牛飼尾根(うしかいおね)を登り、三頭山(みとうさん)を経て御堂指尾根(みどうざすおね)を下りました。両者とも地形図に記載のない、いわゆるバリエーションルートです。
牛飼尾根はできるだけ下端から登ろうと、地形図やらGoogleの航空写真なんかで調べ、以前歩いた長作尾根(ながさくおね)への登山口から取り付くことを計画。これはほぼ目論見通りのルートで登ることができました。
牛飼尾根を歩いたことで、三頭山の南側にある主だった4つの尾根、東から大茅尾根(おおがやおね)、長作尾根(ながさくおね)、今回の牛飼尾根、神楽入尾根(かぐらいりおね)を踏破したことになります。だからなんだというんでしょう。
下った御堂指尾根は事前調査ではルート選択が難しいイメージでしたが、歩いてみてビックリ。基本的に道迷いはしたくてもできなそうな尾根でした。ただ、下端では奥多摩周遊道路の擁壁のてっぺんにぶち当たり、股間がヒュンとなりました。
奥多摩周遊道路に降り立ち、道の向こう側にある山のふるさと村に侵入(おじゃま)しましました。予想はしていましたが、山のふるさと村の中では道が判然とせず、まずは山のふるさと村のビジターセンターを目指し、麦山浮橋への道標を見つけるのが最速でしょうか。
5分くらいの差で小河内神社発のバスに乗れず、ちょっと歩いた峰谷橋バス停の休憩所で小一時間にわたりアホな妄想にまみれながらバスを待ちました。
牛飼尾根、御堂指尾根
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■コース | JR中央本線上野原駅→(START)宮川橋→(10分)牛飼尾根取り付き→牛飼尾根→長作殿平→1084mピーク→(2時間30分)登山道に合流→(40分)三頭山(西、中央、東)→(15分)御堂指尾根→1246mピーク→(1時間30分)1072mピーク→(1時間)奥多摩周遊道路に合流→山のふるさと村→山のふるさと村遊歩道→麦山の浮橋→(1時間)小河内神社バス停→(5分)峰谷橋バス停→奥多摩駅 |
■歩いた日 | 2017年11月25日(土) |
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。
■JR中央本線上野原駅→(START)宮川橋→牛飼尾根取り付き→牛飼尾根→長作殿平→1084mピーク→登山道に合流
牛飼尾根は急登と平地の案配がイイ感じの、登りやすい尾根でした。ただ、取り付きは要注意。
おはようございます。晴天です。JR上野原駅の北口でバスを待っています。長蛇の列で、臨時バスが出ました。
運転手さんに声をかけ、宮川橋で降ろしてもらいました。右の電柱下に見えるのが大長作川に架かる宮川橋です。その電柱の向こう、大きな民家の裏が牛飼尾根の下端です。
長作尾根を登ったときと同じルートです。長作尾根はこの薪の山から右に進みましたが、この薪の山の裏から取り付けらればバッチグー! と思いましたが、かなり無理。
でもって、少し先に進むと農作業用らしき道が尾根に向かってジグザグに切られていました。前の写真の右にある木がこの写真のほぼ中央にある木です。
途中からジグザグ道はなくなり、適当に登ります。写真中央に宮川橋が見えています。
めっちゃ急坂です。
右はキツい急登を避けられますよ、みたいな道。
迷わず右の道を進むと、こんな感じになって滑落しそうだし、尾根筋がわからなくなりそう。
でもって、尾根筋に向かって登ります。
尾根筋に乗っても、相変わらず作業道らしいはっきりした道がいくつの現れます。全て無視し、尾根筋を歩きます。
こんな大きな木もありました。
写真ではわかりませんが、相当な急坂です。
急坂です。
やはり急坂です。左からの強風で枯れ葉が水平に飛んでいたのですが、写真ではまったくわかりません。
ね、急でしょ。
左から尾根が寄ってきたのは、
860mあたりのことです。
左手(西)に見えているのは以前歩いた神楽入尾根に違いありません。
白いビニールテープが巻かれ、千歳飴みたいになった木々の間を歩いたりもします。
わたくしの、ザ・尾根です。
やはり急坂です。
やっぱり、めっちゃ急坂です。
そういえば、晴天です。
心地よい尾根歩きです。
1010mあたりの平らな場所。
それもつかの間。けっこう凶暴な様相を見せつけてきます。
やはり急登です。尾根上に大きな岩が見えてきました。
正面に来るとこんな感じで、右に巻き道がありました。
1084mのピークだと思われる場所。
急坂は続きます。
ふと振り返ると富士山が見えました。
アップ。富士山を背負ってずっと登ってきたわけです。日の丸を背負うのと違うのかな? 全然違うのかな? 何も背負いたくはないけれど。
でもって右手を眺めると、左に三頭山、右に大沢山。
行く手は青空。「もうひと頑張り」の雰囲気まんまん。
で、ひと頑張りすると今回初めて赤テープを見ました。これから赤テープは散見しましたが、登りでも下りでも迷いそうな場所はありませんでした。
どうもさらにもうひと頑張りのようです。
山並みがよく見えていたのでパノラマを作ってみました[拡大]。
右から穏やかな尾根が合流してきました。
それはさておき、惜しい! くノ一だったら面白かったのに。
その裏の刻印。何やら忍びの符号のようではあります。
実は、というほどのことはありませんが、道中、時折フワリといい匂いがしていました。先行している山ガールの残り香か、とも思いたくはなりますが、そんなはずはなく、香りのもとは軍手でした。家人がたまたま普段は使わない洗剤か柔軟剤かで洗濯してくれたようです。山には似つかわしくないような、それはそれでいいんじゃないの、みたいなとても微かな香りをふりまきながらわたくしは歩き続けたのでした。
これが最後のひと踏ん張りでした。
ついに登山度と合流します。牛飼尾根を登りきりました。
登山道には石柱が立っていました。
こちらから登ってきました。といってもなにやら判然としません。
牛飼尾根について
牛飼尾根は牛飼という地名から名付けられたのでしょうが、牛飼には面白い由来あります。以下、ちょっと長いですが、『多摩川源流部の淵・滝・沢・尾根等の 地名とその由来に関する調査・研究』(2002年 中村文明 多摩川源流研究所所長)より要旨を書かせていただきます。
地元の方が牛でも飼っていたのかと思ったが、地元の長老は「牛会」と表記していた。言い伝えによれば、小菅村と隣の西原村との境を決めるのに、双方の村から牛を歩かせ、その牛が出会ったところを境にするという取り決めが成立し、その結果現在の境界が出来たという。牛が出会ったところ、「牛会」が「牛飼」に変化したのであろう。地元では、「ウシゲエシ」・牛返し、つまり牛が出会って引き返したところという別名で呼ぶ人もいる。もともとは、「牛会」が正解であったと思われる。
以上です。
個人的にはウシゲエシ尾根と呼びたいところです。
牛飼尾根は牛飼という地名から名付けられたのでしょうが、牛飼には面白い由来あります。以下、ちょっと長いですが、『多摩川源流部の淵・滝・沢・尾根等の 地名とその由来に関する調査・研究』(2002年 中村文明 多摩川源流研究所所長)より要旨を書かせていただきます。
地元の方が牛でも飼っていたのかと思ったが、地元の長老は「牛会」と表記していた。言い伝えによれば、小菅村と隣の西原村との境を決めるのに、双方の村から牛を歩かせ、その牛が出会ったところを境にするという取り決めが成立し、その結果現在の境界が出来たという。牛が出会ったところ、「牛会」が「牛飼」に変化したのであろう。地元では、「ウシゲエシ」・牛返し、つまり牛が出会って引き返したところという別名で呼ぶ人もいる。もともとは、「牛会」が正解であったと思われる。
以上です。
個人的にはウシゲエシ尾根と呼びたいところです。