奥多摩尾根歩き
刈寄山南西尾根(日向沢右岸尾根)、舟子尾根

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今回は日蔭本田山北東尾根(西沢左岸尾根)を登り、日蔭本田山南西尾根を下り、刈寄山南西尾根(日向沢右岸尾根)を登り、舟子尾根を下りました。
前回の臼杵山(うすぎやま うすきやま)につづき、戸倉三山(臼杵山、市道山、刈寄山)の2座め、刈寄山への尾根歩きです。それぞれの尾根の位置は下の地図を参照してください。
刈寄山は前々回の刈寄山南尾根を登ったときに山頂のすぐ手前で方向転回しててっぺんには立たずじまい。今回は別ルートで山頂に立つべく地形図をじーっと眺めていると尾根上で中途半端に途切れた破線(徒歩道)が目につきました。「はっ、はーん」です。刈寄山南尾根から刈寄山北西尾根を歩いた尾根の反対方向の尾根の上の破線です。この破線を刈寄山南西尾根(日向沢右岸尾根)と名付けたんですが、破線の末端までどこから取付いて登るのか、地形図で2、3か所に当たりをつけたんですが現場で判断するしかありません。
刈寄山南西尾根の取付まで盆堀林道を歩き、刈寄山まで登る、だけではちょっと芸がありません。再び地形図をじーっと眺めて日蔭本田山という山をてっぺんにした日蔭本田山北東尾根(西沢左岸尾根)を登り、日蔭本田山南西尾根を下って盆堀林道に降り、刈寄山南西尾根の取付に向かうことにしました。
日蔭本田山北東尾は取付、日蔭本田山南西尾根は着地点が曖昧模糊としていましたが、これまた現場でなんとかする腹づもりでの出発でした。
ちょっと長めの記事になるので前編「日蔭本田山北東尾根(西沢左岸尾根)日蔭本田山南西尾根と後編「刈寄山南西尾根(日向沢右岸尾根)舟子尾根」に分けました。このページは後編です。
※沢の名前は『山と高原地図23 奥多摩』(2012 昭文社)や『東京起点沢登りルート120』(宗像兵一 山と渓谷社)、1950年代や60年代の書籍や雑誌を調べました。資料によって名前や位置に微妙な差があったりするのをぐーっと『奥多摩尾根歩き』なりに収斂させた結果です。ご了承ください(言外に「間違っていたらごめんなさい」をにおわせています)。
※「標高」は省略します。
コース [START]JR五日市線武蔵五日市駅→檜原街道→(30分)沢戸橋→(25分)日蔭本田山北東尾根取付→日蔭本田山北東尾根→(1時間30分)日蔭本田山→日影山本田山南西尾根→盆堀林道→(35分)刈寄山南西尾根取付→刈寄山南西尾根→(2時間20分)刈寄山→舟子尾根→(2時間20分)刈寄川逆川出合→檜原街道→(40分)[GOAL]JR五日市線武蔵五日市駅
(8時間20分)
歩いた日 2025年3月10日(月)
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。

刈寄山南西尾根取付→刈寄山南西尾根→(2時間20分)刈寄山


刈寄山南西尾根(日向沢右岸尾根)の取付から序盤の崖(岩)登りは、10℃ほどの気温で冷えているはずの肝をさらに冷やされました。浮石や根の張りの弱い灌木、脆い岩になんとか助けられながらの這い上がりでした。
刈寄山の山頂でタヌキに会いました。動画に撮れました。是非、ご覧ください(登山道を嗅ぎ回って去っていくだけですが)。
※ログが激しく動いていますがわたくしがワープしたわけではありません。

栗ノ木尾沢を過ぎてすぐの栗ノ木橋を渡ると日向沢が金堀沢の右岸に流れ込んでいます。ということは日向沢の右岸が刈寄山南西尾根で、
振り返って栗ノ木橋の向こうのが刈寄山南西尾根の下端です。落石防護網にビシッと覆われています。
「栗ノ木橋」の銘板(国土交通省では橋歴板というらしい)が設置されたガードレールというか防護柵まで引き返してきました。ここから刈寄山南西尾根に取付くことにします。激登になった刈寄山南尾根の状況とよく似ています。先行きが不安です。ちょっと迷ってチェーンスパイクを装着。杖はザックと背中の間に差しました。
這い上がってきました。見下ろすと盆堀林道と栗ノ木橋が見えます。
岩の右を登っていきますしっかりした足がかり手がかりが少なく、チェーンスパイクを履いていてよかったです。
次の大岩です。すんごい傾斜です。じんわりじんわり右に寄って着や岩をつかみながらの這い上がりです。
垂直に近い、といったら大げさですが、そんな傾斜になったので大岩側にトラバース(山腹水平移動)します。格好はアメンボ状態ですがすいすいと動けるわけはなく、眼前の落ち葉と左の大岩を交互に見やりながらのトラバースです。10m足らずですがなかなかの恐怖でした。
大岩の中腹くらいに乗り、ちょっと手がかり足がかりが増えて体を引き上げて押し上げてきたんですが、
まだ岩崖はつづきます。
ようやく420mあたりで崖登りは一段落つきました。
いろんな木が乱立するヤセ尾根になりました。激しい変化です。
ややすっきりした平坦な尾根になりました。450m圏です。
尾根に明るさが増したのはいいんですがすんごい急登です。
おまけに倒木やらなんやらかんやらが尾根上を塞いでいたりして
遠くの山並みを眺めながらちょっと休憩。
休憩後も荒ぶったゾーンを通過し、
610m圏で左から登ってきた尾根と合流するととてもおだやかな尾根になりました。
平坦な尾根を歩き、このあたりが地形図の破線(徒歩道)の端点です。なにかの印があるわけではありませんが、確かに道っぽいといえば道っぽいです。
うん、道です。ゆるやかに登っていくと
林道にぶつかりました。地形図にはない、延伸された盆堀林道です。油断していました。驚きました。650mあたりです。
正面はほぼ垂直の崖です。取付きようがありません。
林道の右。どうも崖がつづいている雰囲気です。
林道の左。
左にしばく歩いてみたんですが取付けそうな場所はありませんでした。正面奥は前々回に下った刈寄山北西尾根です。そういえば、そのときも林道にぶつかって驚いたのでした。
文字通り右往左往です。いや、左往右往か。そんなことはともかく、林道を右に回り込むと崖に刻まれた踏み跡がありました。僥倖です。ここから取付きます。
草を刈った跡がある踏み跡を這うように登ってきて
尾根に復帰です。
倒木なんかがあったりするけれどなにごともなかったように尾根はつづき、
670mあたりで刈寄山北西尾根にぶつかりました。左と
やや右の急降下に分岐します。急降下へ。
ずざーっと下ってきて
平穏な尾根歩きがつづき、
680m圏で右に下る刈寄山南尾根との合流点を通過します。
荒ぶったゾーンを乗り越え、
ゆるやかに登っていくと稜線上に東屋が見えてきました。
刈寄山の山頂に到着です。これにて刈寄山南西尾根はおしまいです。山頂には二等三角点が設置されています。標高は687.05m、基準点名は戸倉村。戸倉三山の他の臼杵山と市道山は三等三角点です。二等、三等に優劣はありません。標高は戸倉三山のなかでいちばん低いんですが他の山より見通しがよく、三角点網の設定に好立地だったのでしょう。「二等三角点の記」によると「ここを二等三角点とする」と選点されたのが明治32(1899)年、翌年に標石が設置されたようです。ちなみに臼杵山と市道山の三等三角点の選点は明治37年です。
東屋の前にタヌキが現れました。タヌキって夜行性と聞いていたけれど、昼間でもうろうろするんですね。個性かな。尾根上にタヌキの溜めグソはよく見かけますが本人をまじまじと見たのは初めてです。
カリヨセタヌキは東屋の向こうに去って、カリヨセヒトはせんべい枕のようになったスパムのおにぎらずと水筒に詰めてきたほうじ茶を喫食します。
北から北東方角が大きく開けています。市街地を一望できます。手前の伐採地の縁がこれから下る舟子尾根です。赤白の鉄塔が立っています。
出発します。

金堀沢と日向沢の出合から取付きました。序盤の崖登りはかなりそーとーキビシいものでした。
※YouTubeにいただいたコメントはすべて目を通しています。ありがとうございます。返信はなんというか、テキトーです。すみません。