奥多摩尾根歩き
シダクラ沢左岸尾根、湯久保尾根

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惣岳山→御前山→湯久保尾根分岐→モーテ山→モーテ尾根(仮)を下って登って→モーテ山


モーテ山を二度も踏んじゃった。

御前山を目指します。というか、すぐそこです。
このあたりは「体験の森」のルートが複雑に絡んでいます。
植生保護の成果でしょうか、幼いクマザサが見られました。
かなりバテてきました。
石尾根。
御前山に到着。20人くらいの登山者がいました。ミックスナッツと水で休憩しました。
御前山を出発します。
階段。
木立の向こうが御前山から伸びている尾根。いま歩いているのは尾根の巻き道ということになります。
了解。
木立の向こうにかすかに見えているのは御前山避難小屋。かつて奥多摩三山の縦走時に日本と欧米のハイカーによる激しい夜戦が繰り広げられた地であります。
避難小屋には寄らずに、「大ダワ→ 湯久保」方面に下ります。
湯久保尾根は右。
道中。
御前山からの尾根を大きく巻いています。
左の尾根筋と合流。右の道を歩いてきました。登り側はロープなどが張られているわけではないけれど、木に巻かれた「登山道☞ 五日市署・山岳救助隊」のポスターが右の道へ誘導しています。
昭和天皇が結婚した翌年の「御成婚記念事業」。
しっかりした尾根道が続きます。
左手の木に幅広の赤テープが巻かれていて「若ミドリ山1191m」と書かれていました。
枝がたくさん落ちた道。
このタイプの標識を見るたびにドイツ軍の手榴弾を思い出すのはわたくしだけでしょうか。
倒壊した小屋。
道標に従えば左へ進むところだけど、はっきりした踏み跡が尾根筋に続いているじゃありませんか。誘われることにしました。
いい雰囲気です。
小さいコブを越えて少し歩くと「若ミドリ山」と同じテープを発見。こちらは「モーテ山 1120m」。不思議な名前です。ちなみに「Google翻訳」で「モーテ」をドイツ語だと仮定して訳すと「Morte」。次に「Morte」を言語の自動検出で訳すとポルトガル語と判断され、日本語では「死神」という意味ですと。モーテ山は死神山。ホンマでしょうか。
モーテ山山頂の様子。北方向。
東方向。
南方向。
西方向。
モーテ山から先に進みます。この尾根筋を歩いていけば先ほどの道標が案内していた登山道に合流するはず。という考えが甘かった。いや、考えは間違っていなかったけれど、歩き出す方向が間違っていました。
相当な急坂です。踏み跡はあるようなないような、といった感じです。
振り返りました。振り返ってもきつい坂です。当たり前か。
急な坂が続き、尾根が二股に分かれます。こちらは左。
これは右方向の尾根。
方角は左の方が正解なんですが、下るにつれどんどん足場が悪くなっていきます。
倒木やら藪やらで歩きづらいことこの上ありません。
きつい坂が続きます。どうも登山道に合流する気配がありません。
湯久保尾根はあれじゃないでしょうか。
手前が湯久保尾根だとすればその奥は以前歩いた中尾根じゃなかろうか。坂はきついしそもそも現在地が判然としません。このまま尾根を下るのはちょっとデンジャラスと判断、引き返すことにしました。プロトレックの表示は953mでした。
登り返します。正月早々、ビバークはイヤです。必死に登ります。
散弾の空薬莢。などと写真を撮っている場合ではありません。
かなり戻ってきました。
「KEEP OUT」の黄色いテープ。実は先ほども見てはいたんですが「まっ、大丈夫でしょ」と通過しました。
モーテ山まで帰還。
道標まで戻ってきました。ロスした時間は1時間ほどですが、体力の消耗と徒労感でかなり凹んじゃいました。
モーテ山からの尾根と登山道の合流点。モーテ山から東方向の尾根を下ればよかったのですが、わたくしは南方向の尾根に進んでしまったのでした。モーテ山の東方向の写真を見てみると、中央やや左よりの木の右に踏み跡らしきものがあります。おそらくあれを歩くとここに下り立つはずです。