奥多摩尾根歩き
北方川西尾根

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今回は寂しょう尾根(滝子山南陵)を登り、滝子山から北方川西尾根を下りました。前回につづき、山梨県への遠征です。の、後半です。
滝子山から整備された登山道を南下し、途中から北方川西尾根というあまり一般的ではなさそうな尾根を下った記録です。
尾根の位置は下図を参照にしてください。
コース [START]JR中央本線初狩駅→甲州街道→白野宿入口→(55分)峰の山取付(天神社)→(1時間)峰の山→寂しょう尾根→浜立尾根出合→(3時間20分)滝子山→(35分)檜平→北方川西尾根分岐→北方川西尾根→天神山→(2時間)立河原(甲州街道)→(35分)[GOAL]JR中央本線初狩駅
(8時間25分)
歩いた日 2024年7月13日(土)
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。

滝子山→(35分)檜平→北方川西尾根分岐


滝子山から南へ、『大菩薩連嶺 中央線沿線の山 登山詳細図』(吉備人出版)に「116滝子山・藤沢ルート」と紹介されている尾根を下りました。めちゃくちゃ滑る急降下ではじまりましたがやがておだやかな尾根道になり、男坂か女坂かで悩まされたりもしました。

滝子山の山頂から3、4分ほど下ると二等三角点が設置されています。標高は1590.27m、基準点名はずばり滝子山。山頂と三角点は30mほどの標高差があります。真ん中の道標は滝子山東稜方面です。右の「初狩駅」方面に下ります。『詳細図』(前出)の「116滝子山・藤沢ルート」です。
急降下、乾ききっていない地面、ザレた地面。組み合わせで6通りありますがとにかく滑ります。ロープが張られた場所もありました。
勾配が落ち着くととっても平穏な尾根道がつづきます。鼻歌の2つや3つ同時に出そうなおだやかさです。
「男坂」「女坂」の分岐に着きました。「回答しない坂」はありません。「女坂」を選択。
大きなくの字くの字でじょじょにじょじょに高度を下げていきます。
檜平という広場で「男坂」と合体します。
「笹子・初狩駅(大鹿林道)」方面の道標が立っていました。林道にぶつかり滝子川沿いに下るとザックを降ろして尾根歩きの準備をした天神社の前に出るようです。
「男坂」と「女坂」の分岐に立ち枯れした木の枝にワイヤーの輪が掛けられていました。リンガとヨーニのようです。
檜平の1336mの標高点あたりです。なにもございません。ほうじ茶をひとくちのんで出発します。
おだやかな尾根歩きがつづきます。
快適です。
右に下る尾根が見えてきました。めざす北方川西尾根です。
標高1180m圏(以降「標高」は省略)で直進する「滝子山・藤沢ルート」をはなれて北方川西尾根を下ります。
そこそこの急降下です。枯れ落ちた松葉が厚く重なり尾根の赤味が増しました。
下ってきて
下ります。
古そうなロープが急斜面にぺたっと垂れています。
ロープがなくなっても急降下はつづきます。
1020m圏で小さく展望が開けました。カメラを構えるとレンズにブオンブワンと虫が集まってきます。カメラに虫除けスプレーをかけたいところですがやめたほうがいいですよね。カメラを振り回して虫たちが散開したスキを狙ってシャッターを押します。
知恵の輪みたいな木を通過します。
松葉と松ぼっくりに覆われた尾根です。
とんでもない急降下です。右手に見える尾根の分岐を見逃しましたが、ほぼ直進のこの尾根が北方川西尾根です。
分岐のすぐ先の944mの標高点あたりを通過します。なにもございません。が、ちょっと進むと
赤く塗られた柱石が設置されています。北方川西尾根の分岐にもあった柱石です。
「恩」と彫られているようです。てっぺんには十字、反対の面は「七五八」と読めます。
話は変わりませんが、地域住民が入会権をもっていた山林が御料林として召し上げられたのが1889(明治22)年のこと。その御料林が明治44年に下賜されて県有林になった、ということらしいです。いってこい、なのかな?  山梨県のWebサイトには「県有林の基となったのが、明治44年に御下賜された御料林(ごりょうりん)です。明治末期に相次いで発生した大水害は、県民の生活を大変苦しいものにしていました。明治天皇はこの窮地を知り、県の復興に役立てるように県下の御料地(ごりょうち)のほとんどを山梨県に御下賜されました。現在でも県有林は恩賜林(おんしりん)の名で呼ばれています」とあります。
で、柱石の「恩」は恩賜林の「恩」。山梨県にしかない境界標です。