今回は寂しょう尾根(滝子山南陵)を登り、滝子山から北方川西尾根を下りました。前回につづき、山梨県への遠征です。の、後半です。
滝子山から整備された登山道を南下し、途中から北方川西尾根というあまり一般的ではなさそうな尾根を下った記録です。
尾根の位置は下図を参照にしてください。

北方川西尾根
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■コース | [START]JR中央本線初狩駅→甲州街道→白野宿入口→(55分)峰の山取付(天神社)→(1時間)峰の山→寂しょう尾根→浜立尾根出合→(3時間20分)滝子山→(35分)檜平→北方川西尾根分岐→北方川西尾根→天神山→(2時間)立河原(甲州街道)→(35分)[GOAL]JR中央本線初狩駅 (8時間25分) |
■歩いた日 | 2024年7月13日(土) |
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。
■滝子山→(35分)檜平→北方川西尾根分岐
滝子山から南へ、『大菩薩連嶺 中央線沿線の山 登山詳細図』(吉備人出版)に「116滝子山・藤沢ルート」と紹介されている尾根を下りました。めちゃくちゃ滑る急降下ではじまりましたがやがておだやかな尾根道になり、男坂か女坂かで悩まされたりもしました。

























話は変わりませんが、地域住民が入会権をもっていた山林が御料林として召し上げられたのが1889(明治22)年のこと。その御料林が明治44年に下賜されて県有林になった、ということらしいです。いってこい、なのかな? 山梨県のWebサイトには「県有林の基となったのが、明治44年に御下賜された御料林(ごりょうりん)です。明治末期に相次いで発生した大水害は、県民の生活を大変苦しいものにしていました。明治天皇はこの窮地を知り、県の復興に役立てるように県下の御料地(ごりょうち)のほとんどを山梨県に御下賜されました。現在でも県有林は恩賜林(おんしりん)の名で呼ばれています」とあります。
で、柱石の「恩」は恩賜林の「恩」。山梨県にしかない境界標です。