今回は石積沢左岸尾根を登り、石積沢右岸尾根を下り、丹三郎山北尾根を登り、青梅市奥多摩町境界尾根(以下、境界尾根)を下りました。大塚山の北面を無闇に歩いた「短い尾根をゴニョゴニョとシリーズ」第10弾です。[(第8弾までのリスト) (第9弾)]
石積沢左岸尾根と石積沢右岸尾根は570m圏の石積川ノ頭あたりをてっぺんにして石積沢の左岸と右岸を下る尾根です。石積「川」と石積「沢」の違いは『奥多摩』(宮内敏雄 昭和刊行会 昭和19)の記述にならっているんですが、石積沢の位置の確定に苦労しました。石積川ノ頭は石積沢の源頭にあるのが一般的だと思うんですが、『奥多摩 登山詳細図(西編)』(吉備人出版社)に記載されている石積沢を下流から上流へたどると、源頭は石積川ノ頭というよりは丹三郎山あたりです。ちょっと違和感があり、古い記録を調べてみました。あーだこーだの思案の結果、『詳細図』(前出)より1本西の沢を石積沢としました(詳細は本文に)。
丹三郎山北尾根は丹三郎山をてっぺんにして北へ下り、日原川と名前のわからない沢(後に判明)の出合に落ち込んでいます。名前のわからない沢の右岸尾根で、石積沢右岸尾根の東隣りです。
境界尾根は大塚山から中ノ棒山という846mの標高点が設定されているピークを経て北東に下って多摩川に没している尾根です。今回は中ノ棒山から下を歩きました。

石積沢左岸尾根、石積沢右岸尾根、丹三郎山北尾根、青梅市奥多摩町境界尾根
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■コース | [START]JR青梅線古里駅→万世橋→丹三郎寸庭林道→(20分)石積沢左岸尾根取付→石積沢左岸尾根→(1時間10分)石積川ノ頭→(10分)寸庭川右岸尾根570m圏→石積沢右岸尾根→(40分)丹三郎寸庭林道→(15分)丹三郎山北尾根→(1時間15分)丹三郎山→(30分)中ノ棒山→青梅市奥多摩町境界尾根→(1時間20分)吉野街道→神路橋→御岳渓谷遊歩道→(1時間)[GOAL]JR青梅線沢井駅 (6時間40分) |
■歩いた日 | 2025年1月18日(土) |
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。
■[START]JR青梅線古里駅→万世橋→丹三郎寸庭林道→(20分)石積沢左岸尾根取付→石積沢左岸尾根→(1時間10分)石積川ノ頭→(10分)寸庭川右岸尾根570m圏→石積沢右岸尾根→(40分)丹三郎寸庭林道
石積沢左岸尾根の取付は朽ちた丸太で土留めされた階段が稜線に向かっている、ようでしたが道っぽい道ををたどっていくとちょっひりデンジァラスなトラバース(山腹水平移動)があったりして、短いけれどコクのある尾根歩きができました。
石積沢右岸尾根は序盤に急降下があるものの総じておだやかな尾根です。しっかりした道が尾根に絡みます。





ここを石積沢としたのは、『皇国地誌・西多摩郡村誌』(奥多摩郷土資料館編 奥多摩町教育委員会 1984.12 国立国会図書館デジタルコレクション)の253-254ページに「石積澤 字石積ノ谿間ニ發シ、北流スルコト百七十八間。小丹波村境界ニ至リ、更ニ北流シテ本村ト丹三郎村境堺ヲ通流シ、玉川ニ入ル。其間四十三間三尺、幅六尺ヨリ二間ニスギズ。水清クシテ急流ナリ。上流ハ平素水ナシ。」という記述によります。とくに「本村ト丹三郎村境堺ヲ通流シ」に合致するのがこの沢。「本村」は小丹波村のことで、小丹波村と丹三郎村はいまは村ではないけれどそのまま地区名で残っています。小丹波は多摩川の両岸(南北)にまたがる大きな地区で右岸(南)の丹三郎との境界にいちばん近い沢がここで、石積沢に違いない、という判断です。境界に接してから多摩川に流れ込む沢は「四十三間三尺、幅六尺ヨリ二間ニスギズ」とあるから長さは80m足らず、幅は1.8mから3.6mほど。ねっ、なんとなくここが石積沢っぽいでしょ。ねっ。

石積沢からちょくせつ取付くのは無理そうなので、丹三郎寸庭林道の先に進みます。
※『皇国地誌』は明治初期、政府が各府県に提出させた地誌。未完。
※帰宅後に石積沢についてもう少し調べてみると、奥多摩町が作成している『奥多摩町土砂災害ハザードマップ』の「丹三郎」にこの沢が石積沢として明記されているのを見つけました。また、左岸に2基の碑、右岸に階段ある沢の名前は後沢と判明(読み方は不明)。石積沢も後沢も、沢の名前が地名にもなっています。すっきりです。
実は「後沢」の文字がにじんでどうしても見えず、奥多摩町総務課危機管理担当の方に電話でお聞きしました。ほぼ業務に関係のない問い合わせにこころよく回答していただきました。ありがとうございます。

























































次は丹三郎山北尾根です。後沢の対岸にある階段から取付きます。