奥多摩尾根歩き
臼杵山東尾根、臼杵山北西尾根

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今回は臼杵山(うすぎやま うすきやま)東尾根を登り、臼杵山北西尾根を下りました。臼杵山は戸倉三山(臼杵山、市道山、刈寄山)の1座です。
臼杵山東尾根は水平距離にして約270mほどのごく小さい尾根です。臼杵山をてっぺんにしてほぼ東へ下り、伝名沢という沢の最上流域のウスギ沢に没しています。
臼杵山北西尾根は臼杵山から檜原村の(南)秋川と北秋川の出合にがつんと落ち込んでいる尾根です。
前々回、前回と2回連続、戸倉三山に囲まれた尾根歩きだったんですが1座もてっぺんに立っていません。 「いかがなものか」とココロの声が聞こえてきたのは前回の帰宅後の湯船の中。「まっ、それもそーだな」と地形図を眺めていて思い出したのが伝名沢の左岸に見た道です。前回、刈寄山北西尾根を下ってきて盆堀林道から金堀沢と伝名沢の出合になんとなく降りてみたときに、はっきとした踏み跡がありました。
地形図にも伝名沢に沿って破線(徒歩道)がずーっとつづいています。途中でグミ尾根に登っていく分岐もあるんですが臼杵山のすぐ東までたどれるじゃありませんか。最後は尾根歩きで臼杵山の山頂に立てそうです。登るルートはこれで決まりです。
下山ルートは長めのグミ尾根にしようかと思ったんですがかなり前に歩いたことがあります(幸か不幸か、記憶はほとんどございませんが)。北西にもそこそこ長めの尾根が下っています。こちらは歩いたことがありません。迷った末、下山は北西に下る臼杵山北西尾根にしました。この尾根は『奥多摩 登山詳細図(東編)』(吉備人出版 2016版)に「110 臼杵山元郷コース」として赤い実線(道標がある一般登山道)で紹介されています。が、下部でコースをはなれ、尾根筋をたどって面白い着地になりました。
※沢の名前は『山と高原地図23 奥多摩』(2012 昭文社)や『東京起点沢登りルート120』(宗像兵一 山と渓谷社)、1950年代や60年代の書籍や雑誌を調べました。資料によって名前や位置に微妙な差があったりするのをぐーっと『奥多摩尾根歩き』なりに収斂させた結果です。ご了承ください。
※「標高」は省略します。
コース [START]JR五日市線武蔵五日市駅→檜原街道→沢戸橋→盆堀林道→(1時間25分)金堀沢伝名沢出合(299m標高点あたり)→伝名沢作業道→二俣分岐・右俣へ→三郎ノ岩道窪→ウスギ沢→(2時間55分)臼杵山東尾根取付→臼杵山東尾根→(1時間)臼杵山→臼杵山北西尾根→(1時間45分)日枝神社→檜原街道→(1時間50分)[GOAL]JR五日市線武蔵五日市駅
(8時間55分)
歩いた日 2025年3月2日(土)
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。

[START]JR五日市線武蔵五日市駅→檜原街道→沢戸橋→盆堀林道→(1時間25分)金堀沢伝名沢出合(299m標高点あたり)→伝名沢作業道→二俣分岐・右俣へ→三郎ノ岩道窪→ウスギ沢→(2時間55分)臼杵山東尾根取付→臼杵山東尾根→(1時間)臼杵山


臼杵山東尾根の水平距離は約270m、標高差は約200m。計算すると勾配は約36度(74%)になります。これはとんでもない急登だと思うんですが、まっ、現場に立たないことにはなんとも言えません。尾根ばかりでなく、アプローチの伝名沢沿いの作業道(?)が楽しみでした。地形図に破線(徒歩道)がずーっとつづきます。上流では岩記号のすき間を縫うように沢を高巻いてまた戻ったりもしています。ワクワクです。。。
えらいめにあいました。

おはようございます。3週連続なのであっという間に金堀沢(かなぼりさわ)と伝名沢(でんなさわ)の出合です。奥の伝名沢橋を渡ると広場になっていて「しんじゅくの森」と書かれた緑の看板が立っています。この写真のどこかに292mの標高点が設定されています。
カメラを構えた場所から踏み跡をたどって河原へ降ります。
右奥から伝名沢、左奥から伝名沢橋の架かる金堀沢が足元で合流して盆堀川になります。どこにも水は1滴も見えませんが
振り返って堰堤の下を覗くと水が流れています。盆堀川です。
堰堤の上でザックを降ろし、杖を引っ張り出し、防寒着圏雨合羽を押し込んで、水筒に詰めてきたほうじ茶を一杯。伝名沢の左岸にあるはっきりした踏み跡をたどります。
水が出てきました。
植林ゾーンになったりもします。
踏み跡は右岸へ。
大きな蛇口が刺さったドラム缶を通過します。
右岸に沿った石積の擁壁が見えてきました。がっちりと組まれた立派な擁壁です。
擁壁に上がるのはたいへんそうなので左岸を歩きます。踏み跡はあるようなないような。奥に堰堤が見えます。
「昭和63年度 伝名沢復旧治山工事 谷止工 東京都」の銘板がある堰堤を左岸から越えます。
堰堤の上流は水のない河原です。
水流が復活し、テキトーに右岸や左岸を遡ります。崩れた擁壁だと思われるコンクリート塊がごろごろしています。
見上げると意外な近さに伝名沢林道のガードレールがちらりと見えて擁壁の大きな欠片が何枚か落ちかけています。
沢はゆるやかな蛇行がつづきます。
2連の堰堤です。手前は石積、奥はコンクリート。左岸をぐーっと登って一気に2つ越えます。
越え中。
堰堤の上流は水のない河原です。堰堤の上流は水なし河原、これはどうやら伝名沢の決まり事のようです。
また堰堤です。基礎部の土がなくなっています。どう越える?
右。
左。左に決定。這い上がって
左岸に三郎ノ岩道窪を見て、
またまた堰堤です。
右か
左か。左へ。
堰堤の上流は決まり事どおりだったんですが、踏み跡は沢をはなれて打ち捨てられた造成地みたいな荒れ地を歩きます。
擁壁を左から越え、
荒れ地の踏み跡を進みます。
沢に戻りました。水際を歩けそうですが踏み跡は右岸をトラバース(山腹水平移動)しています。長いピンクテープがたらんと垂れています。
このトラバースはそこそこ怖かったです。沢に降りたほうがよかった。
踏み跡はピンクテープを従えて小さなくの字くの字で小尾根を登っています。地形図を見ると伝名沢林道の末端あたりに着きそうです。ごく薄い踏み跡をたどって沢に降ります。やっぱり最初から沢に降りたほうがよかったみたい。
遡行をつづけます。このあたりから地形図の破線がくの字くの字で左岸の山腹を登っているはずです。それらしい道を探しながら歩いたんですが道は土砂崩れで消失したのか見落としたなのか、見つけられませんでした。楽しみにしていた破線部分ですが、まっ、しようがないです。けれども、しようがないじゃすまされないことをこの後すぐに思い知らされます。
堰堤かと思ったら滝です。伝名沢ではじめて滝を見ました。10mはあります。
正面はもちろん、左の崖も登れません。右のガレガレの斜面しかルートはありません。
這い上がります。
這い上がってきました。水際から20分かかっています。
10m滝の落ち口のすぐ上に立ちました。
上流に滝が見えます。両岸から岩が迫っています。状況がよくわからないのであの滝も高巻きます。地形図の破線はこれらの滝を高巻くための道のような気がします。破線の道を見つけられなかったのは痛恨の極みです。あるはずの破線の道をめざして
滝の落ち口に突き出ている小さな岩稜を這い上がり、
落ちたらたいへんなことになりそうな場所を回り込み、
這い上がり、
踏み跡っぽい凹みをたどっみたもののなくなって、テキトーに上へ上へ
藪を掻き分けながら登っていくと空が、
防獣ネットが、見えてきました。
這い上がると伐採地を囲む防獣ネット沿いの道に立ちました。しっかりした道です。スマホGPSで確認すると破線にばっちり乗っています。下流側のあの先の道がどうなっているのか気になります。沢までつづいているか消えているのか。後ろ髪を引かれながら振り返って
先に進みます。右奥に見えるのはめざす臼杵山が見えます。
小尾根を乗越します。小尾根の稜線を登っていく破線と小尾根を回り込んでトラバースしていく破線の分岐点です。
登る破線はあの伐採地のてっぺんを経て737m標高点でグミ尾根に合流します。ザックを降ろしてちょっと休憩。風はなく、暑いくらいです。首に巻いた手ぬぐいが汗を吸っています。
小尾根を回り込むと伝名沢の細い流れがすぐ近くに見え、
道は水平と下に分岐しています。水平の道を少し進んでみたんですが、落ち葉の分厚い危なっかしいトラバースが見えたので引き返してきました。下の道へ。
沢沿いの道を進み、
久々の沢です。このあたりはもう伝名沢の上流、ウスギ沢だと思います。
倒木につかまりながら小さな滝を登ったりもします。
正面に岩壁が立ちふさがっています。「げっ」と思ったんですが、
幸い、岩壁は蛇行部分にせり出しているだけで立ちふさがっていはいませんでした。恐ろしい高巻きをすることもなく、岩壁のすき間を落ちる小さな滝の横を登ります。
複雑な地形を眺めながら沢を埋めた岩のすき間を遡っていきます。
ようやくめざす臼杵山東尾根が見えてきました。
臼杵山東尾根の下端は涸れ沢の出合になだらかに消えています。
休憩します。赤い水筒はほうじ茶ですが、銀色の水筒にはわたくし製甘酒が入っています。ザックの中で揺られ揺られてお酒になっていた、なんてことはなく、甘酒のままでした。白米:米麹:水=1:1:3で発酵させています。どうしてこんなに甘くなるのか不思議です。軍手はおニューです。先代の軍手は前回のナメイリ沢右岸尾根刈寄山南尾根の激登で完膚なきまでにやっつけられてしまいました。
そういえば戸倉三山に囲まれた沢でワサビ田を1枚も見ていません。素人目ですがこの山域の沢の水流はワサビ栽培には少ないような気がします。
甘酒を一口とほうじ茶を一杯、ゆっくり飲みました。
いよいよようやくやっとのことで臼杵山東尾根に取付きます。
ザレザレのガレガレなんですがゆるやかな勾配を登ってきて
すぐにとんでもない急登になりました。勾配36度の実力発揮です。
登ってきて
710m圏で勾配はほんのちょっぴりゆるみました。
ザレザレの急登に落ち葉が薄く積もっていて登りにくいったらありゃしません。
たまらずちょっと休憩。五日市の町並みでしょうか。
750mあたりで立木だらけのヤセ尾根になりました。
ヤセ尾根はすぐに抜け、臼杵山山頂へのすんごい急登です。だんだん尾根は広がって、立てかけたまな板を登っているようになり、
枯れているのか枯れてないのかよくわからない細い枝に抵抗されながらじんわりじんわり登ってきて
臼杵山の山頂に到着です。これにて臼杵山被害尾根はおしまいです。3人のパーティが食事の準備をしていました。 
山頂には三等三角点が設置されています。標高は 842.10m、基準点名はずばり臼杵山。明治37(1904)年の設置らしいから120年前、日露戦争のまっただ中です。
ちょっと休憩します。次は臼杵山北西尾根です。

金堀沢と伝名沢の出合から伝名沢を遡りウスギ沢へ。ウスギ沢から臼杵山東尾根に取付き、臼杵山のてっぺんまで登った動画です。
※YouTubeにいただいたコメントはすべて目を通しています。ありがとうございます。返信はなんというか、テキトーです。すみません。