今回は眞光寺尾根(しんこうじおね)を登り、オウムソ尾根を下りました。
どちらも奥多摩湖の南岸にある尾根で、てっぺんはどちらも月夜見山(つきよみやま)という山です。月夜見山を折り返し点にしてV字形に歩いたことになります。
眞光寺尾根の下端は奥多摩湖南岸の東寄りにあって、南へクーッと切れ込んだヘビ沢川(天神沢)と手沢という沢の間に落ち込んでいます。ヘビ沢川の上流部は眞光寺平ノ沢という名前のようですが、尾根の名前をはじめこのあたりの名称はいずれも『奥多摩 登山詳細図(西編)』(吉備人出版)によっています。一方、
オウムソ尾根の下端は奥多摩湖南岸の西寄りにあって、北へクーッと突き出した岬の先っぽに落ち込んでいる尾根です。

眞光寺尾根、オウムソ尾根
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■コース | JR青梅線奥多摩駅→[START]奥多摩湖バス停→奥多摩湖いこいの路→(1時間30分)眞光寺尾根→681m標高点→(2時間)月夜見山→オウムソ尾根→大ムソ山→(1時間40分)奥多摩湖いこいの路→山のふるさと村湖畔の小道→(50分)麦山浮橋→深山橋→[GOAL](1時間20分)峰谷橋バス停→JR青梅線奥多摩駅 |
■歩いた日 | 2019年9月7日(土) |
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。
■JR青梅線奥多摩駅→[START]奥多摩湖バス停→奥多摩湖いこいの路→(1時間30分)眞光寺尾根→681m標高点→(2時間)月夜見山
眞光寺尾根の序盤はとんでもない急登。ここを凌げばまーまーのんびり尾根歩き。眞光寺の遺物を大発見! か?





ダム建設によって649戸、4000人あまりが湖底に沈む土地から離れることになりました。昭和12年に東海林太郎が「夕陽は赤し 身は悲し 涙は熱く 頬濡らす さらば湖底の わが村よ 幼き夢の 揺籠よ」と歌った『湖底の故郷』が大ヒット。また同年、石川達三はダム建設に翻弄される村人をドキュメンタリータッチで描いた長編小説『日蔭の村』を発表しています。湖底に沈む村々は冒頭部分で「(前略)たたなわる山また山の谷あいの部落が渓流の岸の断崖の上に点々と危うげな小舎をつらねている。百尺に近いその崖の下には青い淵が静かに泡を浮かべて雲の影を映しているか、または湧きたつ早瀬が岸をかんで滔々と鳴りながら、深い山襞の底をめぐりめぐって真白い曲線を描いている」と描写されています。





































以下に『小河内貯水池郷土小誌』(東京市 編 東京市 1938[昭13])という書籍から引用します。 「三頭山から引いた山脈の、御前山の尾根續きに眞光寺平とか、京道山(經堂山?)といふ、古寺の遺趾でもある様な所である、眞光寺平は、鶴の湯の東の方に聳え、一町半位な傾斜の所に、一段歩以上もある窪地の平な所を云ふのである、河内向の石垣のある上に、六地藏尊を安置した跡があつて、丁度昔の馬渡土橋(大麻止道橋)の正面に當る所だから、如何にも眞光寺平の登り口である様に思はれる。 それに眞光寺から、焼物の欠け抔を掘出すといふ話があるけれど、今は殖林の爲に調べも仲々困難であるとか、それ故果して眞光寺という寺が、あつたものか何うか判然しない、然し斯かる名前のあるからには、萬更荒唐無稽の説でもないかも知れない(後略)」(168ページ) 。
つまり、眞光寺という寺はあったのかどうなのかハッキリしないけれど多分あったんでしょうね。焼き物のかけらが掘り出されるらしいし。ということです。で、この写真がその焼き物じゃないでしょうか。「眞光寺の碗」とか書かれていればいいんですが、そんな都合のいい話はなく、けれども発見! じゃないとも言い切れないわけで。
わたくしは美しい曲線を持った瓦屋根がピカピカ光る眞光寺の姿を想像しながら発掘現場を後にするのでした。
ちなみに京道山(經堂山?)は月夜見山のことらしいです。引っ越しの終わった集落は焼き払われ、馬渡土橋(まとどばし)は両端と中央に仕掛けられた発破でドドドーンと爆破されて崩れ落ちました。


















