奥多摩尾根歩き
市道山北西尾根、峰見通り

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市道山北西尾根(標高点696m)→(1時間55分)市道山→峰見通り→栗ノ木沢ノ頭


市道山北西尾根の696m標高点以降はおだやかな尾根歩きがつづいたんですがいきなり林道にぶつかり驚きました。しばらく林道を歩き、テキトーな場所から尾根に復帰しました。
峰見通りは大中小あわせて13のピーク(『奥多摩尾根歩き』調べ)を越えました。出発前に地形図を見て登ったり下ったり(通称アップダウン)が多そうだな、とは思っていたんですが予想をはるかに凌駕する数でした。このページは栗ノ木沢ノ頭までです。

696mの標高点を過ぎると正面に市道山を見ながらの下りです。
鞍部からヌタ場が見え、
視線を上げると北秋川のずーっと上流に大岳山がぽこりと見えました。
幅広の尾根を登り詰めると
710m圏のピークです。右から登ってきた尾根と合流。市道山北西尾根ではじめて植林を目にしました。
ピークから下っていくと林道にぶつかりました。ちょっと驚きました。尾根上を歩くこともできるんですが、尾根の先を見やるとすぐに林道に降りてまた尾根に上がるようです。林道を歩くことにしました。
林道は700m圏のピークを大きく巻いていきます。
道中。
あのとんがった尾根の先が市道山のピークのはず。ここで林道をはなれて尾根に復帰します。
ヤセ尾根です。
岩稜です。
つづきます。
岩が消え、ゆるーく登り詰めると
市道山の山頂に到着です。これにて市道山北西尾根はおしまいです。市道山の山頂には三等三角点があるはずですが柱石が見つかりません。ですが柱石を載せる盤石が露岩の凹みにありました(写真左下。切り替え画像は盤石の拡大)。十字の刻みがあるのでこの上に柱石が立てられていたのでしょう。表土がごっそりなくなり重さ65kg(『史跡と標石で辿る 日本の測量史』より)、長さ80cmの柱石はどこかにいってしまったようです。三角点の設置は日露戦争が勃発した明治37(1904)年のこと。標高は795.20m、基準点名は逸歩地(いっぽち)。市道山にはイッポチ山の別名があるようです。

市道山北西尾根のダイジェスト動画です。金堀沢と日向沢の出合から小坂志川とチガ沢の出合からおだやかに取付いたもののいきなりの崖を必死のルーツファインディングで這い上がりました。
※YouTubeにいただいたコメントはすべて目を通しています。ありがとうございます。返信はなんというか、テキトーです。すみません。
山頂からの眺め。
曇っていていまひとつです。
予定通りエネルギーを補給します。大きな露岩は格好の休憩場所です。わたくし製スパムのおにぎらずとほうじ茶を喫食します。切り替え画像はおにぎらずの製作風景です。いらない写真? あーそーですか。
さて、次は「刈寄山・鳥切場」方面、峰見通りです。
ひたすら「鳥切場・刈寄山」方面へ歩きます。小ピークが見えます。
登ってきて
下ります。こんなことが嫌というほどつづきます。
丹沢山系が見えている、のでしょうか。
登山道脇の鳩首凝議。
道中。快適な尾根道がつづいています。
727mの標高点あたりを通過します。なにもございません。
730m圏のピークです。2月にここから通り尾根を下りました。
登って
かなりの急降下があったりもします。
通り尾根を眺めながらちよっと休憩。
トヤドを通過します。金堀沢と千ヶ沢の出合から市道沢右岸尾根をここまで登り詰め、通り尾根を下りました。
柱石が埋まっている720m圏の小ピークを越えます。
10個めのピークです。階段つきの激しい急登です。
また登ります。
724m標高点あたりのピークです。「栗ノ木沢ノ頭」と彫られた山名板が木にくくりつけられていました。
前編はここまです。後編は峰見通りのこの先と猪畑尾根刈寄山北東尾根です。