今回は前回の余勢を駆って毘沙門山南尾根を毘沙門山の山頂直下まで登り、毘沙門山西稜を下りました。股間を何度もキューッとさせながらもそこそこデンジャラスな尾根歩きを成し遂げた、というのがその余勢なんですが書いてみるとたいして勢いはないような気がしてきました。。。まっ、いいです。
白石山(はくせきさん)の別名である毘沙門山の由来とされる毘沙門神社はどこにあるの? と思い調 べてみたところ、毘沙門山から南に下っている尾根上に建っているらしいことがわかりました。南尾根を毘沙門神社を訪ねて毘沙門山東稜まで登り、西へ向かい、毘沙門山を越えて茅ノ坂峠まで西稜を歩く、これは体力的にもコースタイム的にもバッチグーなルートじゃなかろうか、などとひとりほくそ笑んでいました。
ところが毘沙門神社の現在の社殿は移転されたもので、かつての社殿の跡が毘沙門山の山頂直下のどこかにある、ということがわかりました。うーむ、どうせなら毘沙門神社「跡」も訪ねてみたいものです。結局、毘沙門神社「跡」を探しながら毘沙門山東稜と毘沙門山を巻き、西稜に乗る、というルートに変更。まっ、これはこれでいいんじゃないの、と再びほくそ笑んでいました。
けれどもそんな笑いが引きつる大きな問題がありました。毘沙門山の西にあるナイフリッジです。どうやら股間がキューッとなるどころか裂かれてしまいそうな岩稜で、左右どちらに落ちても一巻どころか全巻の終わりらしい。もちろん、根もとを巻くことにしました。
下山は毘沙門山西稜のおしまい(と勝手に定義)である茅ノ坂峠から峠道(地形図の破線)を北へ下り、林道茅ノ坂峠線から県道に出ることにしました。
毘沙門神社跡の探索が大きな肝だったんですが、思いもよらないできごとで場所の謎は引き解け結びのようにするりと解けてしまいました。
※前回の表記にならえば白石山(毘沙門山)とかっこ付きにするところですが、メンドーだし読みづらいので白石山ではなくビシッと毘沙門でいきます!
※現在の毘沙門神社の場所は「YamaReco」のgodohanさん、毘沙門神社跡の存在はアメーバブログの『ゆっきーの山歩き』さんの記録で知ることができました。ありがとうございます。

毘沙門山南尾根、毘沙門山西稜
(1/2)
■コース | 西武秩父線西武秩父駅→小鹿野役場バス停→[START]三ヶ原バス停→毘沙門山南尾根取付→表毘沙門水→(20分)毘沙門山南尾根取付→毘沙門山南尾根→(1時間)毘沙門神社→(20分)旧毘沙門神社跡→毘沙門山西稜南面→長合沢ノ頭・ナイフリッジ南面→(1時間10分)毘沙門山西稜→956m標高点→847m標高点→(2時間45分)茅ノ坂峠→峠道→林道茅ノ坂峠線→(55分)[GOAL]八谷バス停→小鹿野役場バス停→西武秩父線西武秩父駅 (6時間30分) |
■歩いた日 | 2023年11月6日(日) |
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。
■西武秩父線西武秩父駅→小鹿野役場バス停→[START]三ヶ原バス停→毘沙門山南尾根取付→表毘沙門水→(20分)毘沙門山南尾根取付→毘沙門山南尾根→(1時間)毘沙門神社→(20分)旧毘沙門神社跡
毘沙門山南尾根は毘沙門山から南へ赤平川(あかびらがわ)に下っています。短い尾根ですが下端から毘沙門山の山頂まで標高差が640mほどあります。ただ、190mほどは毘沙門山南面の垂直に切り立った断崖絶壁です。つまり歩ける範囲の高度差はあまりありません。さほど勾配はキツくなく、毘沙門山にまっすぐ向かう尾根だからここに神社が創建されたんじゃないでしょうか。


























毘沙門山が秩父セメント(現・秩父太平洋セメント)に売却されたのが昭和39年。毘沙門神社の移転話が本格的に持ち上がったのは49年で二転三転した移転先が51年に決着。52年2月に地鎮祭が行われ、5月2日に遷宮が終了した。例大祭は毎春5月3日に執り行うことにする。
ざっくりこんな内容です。


どのように祭礼が行われるのか興味があったんですが、お礼を述べて神社を辞し、毘沙門神社跡をめざします。

※本記事への写真掲載に関してご快諾をいただきました。三ヶ原の皆様、ありがとうございます。












毘沙門神社跡の全貌。























