奥多摩尾根歩き
胡桃指沢左岸尾根、白石山(毘沙門山)東稜、長合沢左岸尾根

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白石山(毘沙門山)東稜→851m標高点→(1時間50分)白石山(997.0m 毘沙門山)


毘沙門山東稜のてっぺんは毘沙門山として東端は正直どこなのか判然としません。地形図の岩崖記号の並びが途切れるあたりなのかどうなのか。
ダイヤ形の大岩→小岩峰→ネット被りの岩峰は右(南)の金網沿いをくの字くの字で下降→残置された重機→左にゲートのある岩峰→てっぺんにコーラ瓶。右に急降下して右へトラバース(山腹水平移動)→毘沙門山の山頂(三角点)。右へ急降下
そんな尾根でした。ってなんのこっちゃ。とにかく荒々しくスケールのでっかい山容、360°の展望、圧倒されまくる尾根歩きでした。

毘沙門山東稜に向かいます。
840m圏で右から登ってきた尾根と合流すると。
なんとも心地よい尾根がバーンと広がりました。両腕を突き上げて伸びをしたくなる、というか、した尾根を歩くと
851mの標高点です。尾根は分岐します。
なんとなく直進に近いこちらの尾根に進んでしまいそうになりますが、
右にクッと曲がってこちらの尾根に進みます。
「天保八酉年」と彫られた石祠を通過します。1837年、大塩平八郎の乱の年です。
880mあたりで左から登ってきた尾根と合流すると
毘沙門山東稜に向かっての急登です。
毘沙門山東稜に乗りました。右手(東)に岩稜がのびています。気になります。
岩稜の突端に立ちました。
見下ろすと階段状に何段か岩場が突き出ていました。まだ先に下っていけそうです。
やめときます。
引き返して毘沙門山をめざします。
左下をしばらく歩き、
岩稜に取付きました。
いきなり展望が開けました。
岩稜を進むとダイヤ形の大岩が突き刺さるように立っているのが見えてきました。
下って登ります。右に巻道がありました。
ダイヤ大岩の反対側から歩いてきた方角を眺め、
振り返って先に進みます。
奇っ怪な山肌が見えてきました。
モズクのような金網を通過すると
採掘された山の全貌が目に飛び込んできました。あの縁を登っていくんですが、現実離れしていてピンとこない光景です。足元も眼前と同じく強烈な断崖絶壁です。柵はありません。いま思い出しても股間がキュッとなります。

採掘された山の全貌。
サイレンが残されていました。かつては発破なんかの合図で山の空気をビリつかせていたに違いありません。
先に進むには右しかありません。下ります。
金網沿いに歩き、
途切れたら次の金網までなんとかして下るんですが、灌木や岩をつかんで下ったり
山肌を覆っている網をつかんで下ったり
ひん曲がった鉄パイプをつかんだり
ただズルズルと
下ったりして
尾根の続きに復帰しました。
道中。南側の風景です。左下に大指の集落が見えています。
振り返って。あのてっぺんから下ってきました。
振り返って。あのてっぺんをめざします。
重機を通過します。削岩機をキャタピラに載せたもので、大きな砕石の小割や道路の建設に使われるクローラードリルというらしい。昭和42年の製造で49年に修理した記録が車体に残されています。
削り取られた岩稜の根もとを登っていきます。
道中。
岩峰が近づいてきました。
先ほどと同じように根もとに道があるんですが有刺鉄線の巻かれたゲートで閉ざされています。ちょっと戻って岩峰に取付きます。
反対側に巻道がありました。道、なのでしょうか。まっ、這い上がることはできます。
このワイヤーには助けられました。
岩稜に立ち、振り返ってみます。
もう少しでてっぺんです。
てっぺんにコーラ瓶(1000ml)がありました。蓋付きです。中には錆びた硬貨(?)が2枚入っていました。賽銭みたいなものでしょうか。
いよいよ次の岩峰が毘沙門山です。南面は採掘ではない自然な断崖のようです。毘沙門山を眺めながらちょっと休憩します。お昼時ですがまったく食欲はありません。プロペ通りのコンビニで買ったジャスミン茶を飲みます。
狭い山頂をぶらぶらします。んー、これは侵食された石灰岩に擬態したエイリアンかもしれません。油断禁物です。
休憩終了。コーラ瓶から先に進んで突端近くの右手に踏み跡らしきものがありました。草木をつかみながら下ります。
ぐーっと下ってきて下ったままだと尾根に戻れないので右へトラバースします。右上の岩を抱きかかえながら隙間の空いた岩をまたぎます。
あの上から回り込むように下ってきて
尾根に復帰しました。登ります。

毘沙門山のてっぺんに到着。これにてとてもコワオモシロい尾根だった毘沙門山東稜はおしまいです。
三等三角点があります。標高は996.98m、基準点名は白石山。

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