奥多摩尾根歩き
大高山北東尾根

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今回は大高山(おおたかやま)北東尾根を鎌倉峠から大高山まで登り、大高山から天覧山(てんらんざん)まで、飯能アルプスの南部を歩きました。奥武蔵への遠征です。長い記録なので前編「大高山北東尾根」と後編「大高山〜天覧山縦走路(飯能アルプス)」に分けます。
このページは前編「大高山北東尾根」です。
※「標高」は省略しています。
コース [START]西武鉄道吾野駅→(1時間)鎌倉峠(大高山北東尾根取付)→大高山北東尾根→(1時間5分)大高山→(1時間10分)天覚山→(25分)東峠→(1時間)久須美山→(40分)永田山→(1時間20分)多峯主山→(35分)天覧山→中央公園花見→(40分)[GOAL]西武鉄道飯能駅
(7時間55分)
歩いた日 2025年4月6日(日)
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。

[START]西武鉄道吾野駅→(1時間)鎌倉峠(大高山北東尾根取付)


高麗川の音を聞きながら大きな沢や小さな沢を越え、「こっちぽい」「まだ登るには早いよね」などと思いながら消えそうで消えないかと思ったら消えてまた現れる高麗川右岸沿いの踏み跡をほどよいテキトー感でたどりました。これから先は進むのがたいへん、な場所から鎌倉峠(坂)に向かって登り始めました。

おはようございます。西武鉄道吾野駅です。西武池袋線の終点であり、秩父線の起点らしい。たくさんのハイカーが降車しました。
首に手ぬぐい、手に軍手の正装を終え、改札を出て右の
かなり急な階段を降りて道路を右へてくてく歩きます。
「秩父街道 吾野宿」の標柱を過ぎます。
坂石町分(さかいしまちぶん)の街並み。この道はかつて江戸と秩父を結ぶ秩父街道(江戸秩父道)と呼ばれ、坂石町分は秩父からの絹なんかの荷を運んできた馬から江戸に向かう馬にリレーする「馬継ぎ」の宿場だったらしい。郵便局を過ぎ、
目印がほぼないのが目印みたいな右手の路地に入ります。
西武鉄道の鉄橋をくぐります。
正面に大高山が見えます。住宅地を抜け、
直進は「緑と花の散歩道」ですが、赤いコーンが立っている
高麗川の右岸に沿う踏み跡に進みます。
高麗川の支流にぐっと下ります。踏み跡は地形図に記載されている堰堤のすぐ上流に降ります。
石に引っかかったスギの枝葉を頼りに渡ります。
登りと水平。踏み跡の分岐です。まだ鎌倉峠に登るのは早いので水平を選択。テキトーに歩ける感がたまりません。
川側はロープ、山側は鎖。岩の小尾根を回り込みます。
謎の空き地(畑?)を通過します。
ゆるく登っていくと民家前の
道に出てそのまま歩いていくと
舗装道路に出て、高麗川に架かる南天神橋(みなみてんじんはし)です。渡らずブロック塀を右へ。あくまで高麗川右岸を歩きます。
数軒の民家を過ぎると植林に囲まれました。
ひと跨ぎで越えられるごく小さな沢をいくつか越えてきましたが、この沢はちょっと大きめ。越えた先で踏み跡はこれまで以上に曖昧になっているみたい。藪が被り、かなり勾配がキツい小尾根が突き出ています。
沢を大股で越えるとそこそこしっかりした踏み跡が登っていました。スマホGPSを見てみるといい感じに鎌倉峠に向かっています。
踏み跡を登ってきました。
しっかりした踏み跡が水平につづきます。
「えっ、こんなところに」とちょっと驚いた足場板の桟道を渡ります。
小さな沢を跨ぎ、
踏み跡はつづきます。
大高山北東尾根の下部と思われるあたりから登り始めます。踏み跡はあるようなないような。
テキトーに登っていくと
朽ちかけた階段がありました。かつてはそこそこ歩かれた道なのでしょう。
ぐいぐい登っていくととても立派な幅広の道に出ました。うーん、どこから来たのでしょう。
立派な道をくの字くの字で登ってくると
切通しです。
鎌倉峠に到着です。案内板に「絶頂よりの眺望は遠近高低山々かさなりて、西北の間はいと佳景なり」と『新編 武蔵風土記稿』からの引用がありました。西北が開かれている「絶頂」は246mの標高点が設定されているピークのことかな。
大高山をめざして大高山北東尾根に取付きます。ちょっと休憩。