奥多摩尾根歩き
鋸山車力道コース

(鋸山車力道コース、鋸山西の肩)


今回は千葉県の鋸山(のこぎりやま 乾坤山 けんこんざん)に登り、鋸山西の肩(テキトー)を下りました。遠征です。
鋸山はかつては凝灰岩の採石場だったけれど、いまはその採石跡の奇観や南面一帯に広がる日本寺(にほんじ)に点在する史跡を目指してたくさんの観光客や参拝客が訪れる山です。ロープウェイも敷設されています。
マイナーっぽい安兵衛井戸・沢コースという安兵衛沢沿いを登るつもりだったんですが現地で変更。車力道(しゃりきみち)コースを登り、途中からコースをはずれてみました。
下りは登山道や参道ではなく、鋸山からほぼ西へのびて明鐘岬(みょうがねみさき)という岬で東京湾に没する尾根を下ってみることにしました。けれどもこれがとんでもなく難コースで…。地形図を見るかぎりビシッと尾根が走っています。とくに名前はないようなので鋸山西の肩はテキトーな名付けです。とはいっても鋸山から東へのびる尾根は東の肩と呼ばれているようなので、それほどテキトーでもありません
眼前にバーンと広がった海を見ながら尾根を下れるかもしれません。とってもワクワクしながらいつもとは逆方向の始発電車に乗り込んだのでした。

コース
[START]JR内房線浜金谷駅→車力道コース→(2時間)鋸山→日本寺(地獄のぞき、大仏など)→(2時間30分)ロープウェイ山頂駅→鋸山西の肩→山頂駅下山道→(2時間)内房なぎさライン→(30分)[GOAL]JR内房線浜金谷駅
(7時間)
歩いた日 2021年4月18日(日)
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。

[START]JR内房線浜金谷駅→車力道コース→(2時間)鋸山


車力道は切りだした石を運んだ道なので急な勾配はありません。途中でコースをはずれ、苔むした石切場を眺めながらロープで崖を下ったり岩を這い上ったり、削り出された急な石段を何段も何段も登ったり、岩盤をカッターで切ったかのような狭い石の廊下を歩いたり、いきなり眼前に東京湾がドーンと見下ろせたり、ちょっとデンジャラスだけれども楽しい山歩きができました。

JR内房線浜金谷(はまかなや)駅の跨線橋の上からおはようございます。正面奥に見えているのが鋸山の稜線です。確かにノコギリの刃のようにギザギザしています。鋸山は左のほうのやや尖った山だと思います。
鋸山西の肩です。東京湾に向かってガツンと没しているのは西の肩の手前の枝尾根のはずです。風が強いです。強いというかかなり強いです。かなりというかそーとーです。海辺だからでしょうか。
浜金谷駅です。駅を出て最初の角を左折して登山口に向かいます。
街中を歩いていくと左手に鋸山観光案内所がありました。館前の案内板の一部です。
迷いそうなポイントには道標が立っています。
街を抜けました。
内房線のガードをくぐります。
分岐です。左が歩く予定だった安兵衛井戸・沢コースへの道です。けれども道標に台風(おそらく2019年)のため通行禁止と書かれた板が縛り付けられています。誰が通行禁止と言っているのか署名がないのでわかりません。
「車力道」「観月台(かんげつだい)」はあちら。
安兵衛井戸・沢コースに向かいます。太陽光発電パネルを通過します。奥に見えているのは鋸山の稜線です。
富津館山道路が見えてきました。ここでちょっと思案。誰が言っているのかわからないものは無視しようと思ったんですが、なんとなくやはり従うことにしました。交通標識でも裏側に公安員会の道路標識管理番号が書かれたシールが貼られていないと従う必要はありません。違反しても罰則を受けることはありません、って関係ないか。
とにかく戻ってきました。あちらへ向かいます。
分岐です。正面の階段は観月台に向かう関東ふれあいの道です。左の車力道への道を進みます。右の道はどこに行くのでしょう。わかりません。
こんな穴がいくつか開いていました。わたくしの故郷にも似たような防空壕跡がいくつもあってショウガなんかの農産物の保管場所に使っていました。
富津館山道路をくぐります。
こんな道を歩きます。
左が車力道です。
車力道の入口に立っていた案内板。鋸山で切り出された石は房州石(ぼうしゅういし)と呼ばれ、建築資材として室町時代から昭和時代にかけて盛んに生産されたそうです。
その下部の解説は詳細でとても興味深いものです。
じっくり見ていると時間がかかるので、現地ではザッと読んでから写真に撮って後でじっくり読むことにしました。
車力とは鋸山で切り出した石を運ぶ労働者のことで、ほとんどが女性だったらしい。
切り出された石は89cm×29cm×26cmに整形され、1本の重さは80kg。「ねこ車」と呼ばれる荷車に3本載せて引いて運んだそう。
集石所に石を降ろすと上部の集石所までねこ車を背負って運び上げ、1日に3往復したというからそのパワーはすごいです。
こんな案内板がコース上のあちらこちらに立っています。
いよいよ車力が行き来した車力道を登ります。
切り通しもあります。
台風の爪痕でしょうか。鋸山は岩山なので木の根の張りは浅いのかもしれません。こんな倒木地帯を何カ所も見ました。
ねこ車の轍が刻まれています。
ここはちょっと勾配がキツいです。ねこ車は二輪で車輪はマツの輪切り、車軸は堅いカシでつくられていて、取っ手の反対側にはめられている鋳鉄を石の道にこすりつけてブレーキをかけながらガガガガガガッと下っていたのです。ケーブルやトロッコが敷設され、トラックで石を運ぶようになってからも一部では昭和35年(1970)頃まで車力はガガガガッと石を運んでいたそうです。
安兵衛井戸・沢コースを歩かなかったかわりに、ここで車力道をはずれてみます。下調べでここを歩いた記録を見ました。200m圏です。低いです。奥多摩では考えられません。けれども浜金谷駅の標高は6mですからそんなものといえばそんなものでしょうか。
笹藪に踏み込んですぐ「この先コース外!」やドクロのマークが書かれた看板が立っています。後に知ったんですが、コース外のこのコースはアドベンチャーコースと呼ばれているようです。
こんな道を歩きます。このルートにはたくさんの赤テープが結ばれていました。
石切場跡を通過します。
岩盤にポカリと穴が開いているのが見えます。
どうやら踏み跡は穴に向かっているようです。
くぐり中です。
くぐり抜けました。
コース外からはずれないようにロープが張られています。
あちらに進む前に
この石の壁に挟まれた廊下を歩いてみます。
とんでもない威圧感です。
廊下を出ました。突き当たりです。見上げます。いったいどうしてああいうふうになったのでしょう。引き返します。
勾配のかなりキツい崖を下ってきました。
切りだした石を滑り落とした凹みじゃないでしょうか。
東日原(ひがしにっぱら)の梵天岩(ぼんてんいわ)みたいな岩が見えました。
ほぼ垂直の岩にロープが垂れています。
ロープと岩の割れ目や2、3本の鉄筋を頼りに登ります。
登ってきました。背筋がねじ切れそうな体勢で撮影。
次は岩と根をつかみながらのトラバース(山腹横歩き)です。
トラバースが続きます。
小尾根を回り込むとしっかりした道が現れました。
黒いのは水溜まりです。採石場といえば水溜まり、というイメージがありますがどうでしょう。カエルが鳴いていました。
なんらかの理由で運び出されなかった苔むした石。墓石のように並んでいました。
石の階段を登ります。作業道の雰囲気が濃く漂っています。奥多摩の作業道には桟道がつきものですが、ここでは岩を削った階段です。
登ります。
小尾根を回り込んで登ります。
ヤセ尾根をさらに削った階段を登ります。
登ってきて
明るい稜線に向かって登ります。
登りきると炭焼窯跡がありました。備長炭のような白炭を焼く窯だと思います。焚き口がしっかり残っていました。
尾根歩きになりました。
右手の高い位置にしっかりした稜線が見えます。地形図によるとあちらに正規の登山道があるようです。
いきなりです。左の木立が切れた小岩の上から東京湾がバーンと見えました。手前は浜金谷港。東京湾の向こうは三浦半島です。ちょっと望遠で撮影。290m圏、地形図の電波塔の記号から北北西に75mほどの場所です。
広角で撮影。
こちらは北東方向の内陸部。小さな尾根が複雑に絡み合っています。景色を眺めながらペットボトルに詰めてきた玄米茶をグビグビと飲みました。そして歩き始めてすぐ、
鋸山の山頂に到着です。山頂には一等三角点があり、標高は329.14m。基準点名はズバリ鋸山。
北方向が少し開けています。右奥の薄らとした影は富津岬だと思います。玄米茶を飲みます。先ほどグビグビ飲んだので一口だけ飲んで出発します。
「林道口」方向は東の肩です。東の肩を下っていくと登る予定だった安兵衛井戸・沢コースにぶつかります。これから歩くのは反対方向の西の肩です。
「不二三十六景 安房 鋸山」(歌川広重 嘉永5年/1852 諸説あり 館山市立博物館所蔵)。内陸部から眺めた鋸山東の肩が描かれています。いま、あのてっぺんに立っています。