奥多摩尾根歩き
出野沢右岸尾根、浅間尾根

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浅間嶺→人里峠→一本松→猿石→数馬分岐


きっちり整備された道をてくてくのんびり歩けます。

ワクワクです。
石の祠がありました。黄色ペンキの山田(?)さんのマークが祠をあらわす地図記号のようです。
祠の反対側です。通せんぼのロープでしょうか。かつては生活道があったのではないでしょうか。
心地よいです。
右は浅間嶺(展望台)下の休憩所から登ってきた道です。
北面が伐採された場所に出ました。ほぼ白。
尾根筋は植生回復のため通行止め
この大木はイヌシデという名前らしいです。
伐採地より。
クモの巣。
人里峠に到着。
峠に石仏がありました。かつては気立てのいい村娘が手を合わしていたのでしょう。きょうは腹黒いオヤジですみません。
右は数馬、左は人里と読めるようなことが彫られていました。
かつては気立てのいい村娘が歩いた道を腹黒いオヤジが歩きます。
リョウブ。
山腹と一体化したような桟道を歩きます。
かつてのルートは桟道を支える岩盤が崩壊したため通行止め。
迂回路から崩壊現場らしき場所を激写。
迂回路にしてはとても立派です。多分、旧ルートは廃道になるのでしょう
旧ルートと合流。
快適な道が続きます。
浅間石宮(せんげんいしみや?)に到着。
浅間石宮の祠です。大木が守っています。
トレイルランニングの若者集団とすれ違いました。爽やかでした。
可憐な花。カメラを左足首あたりに構えて撮ってみたんですが、やっぱりピントが合ってませんでした。
「一本杉(一本松)」の標柱。けれども『山と高原地図 奥多摩 2012』には「一本松(一本杉)」の表記。ひとによったら怒ると思います。
標柱の後ろにある馬頭観音。わたくしには安永二年と読めました。正しければ杉田玄白が『解体新書』を出版した前年の1773年に彫られたものです。ヒェッー。
一本松に登りました。
山名板。
三角点のある山頂の様子。
山頂の様子。
尾根伝いに歩きます。
はっきりした道が続いています。
登山道と合流。
こんなクッキーみたいな可愛い道標がありました。
藤倉バス停への分岐。藤倉バス停へは崩落工事で通行止め。
小屋跡を通過。一升瓶見つからず。
朽ちたベンチを通過。ここに座るとお尻イタイイタイです。
サル石。この岩のどこかにあるというサルの手形を探すというイベントです。檜原村観光協会はお上手。
道中の展望。
数馬分岐。
なんとなく道なりに進もうとしました。ところが、何度も道間違いをしているわたくしの脳のどこかが黄信号を発しました。
地図とコンパスを出してビシッと確認。大間違いでした。当たり前ですが風張峠方向の階段を登るのが正解です。
数馬分岐の馬頭観音。
馬頭観音のそばで「思いつきのルート変更は事故のもと!!」の看板が朽ち果てそうでした。