奥多摩尾根歩き
大高山〜天覧山縦走路(飯能アルプス)

(2/2)


永田山→(1時間20分)多峯主山→(35分)天覧山→中央公園花見→(40分)[GOAL]西武鉄道飯能駅


飯能アルプスで20数人のトレイルランナーと5、6人のハイカーに会ったんですが、1人のハイカーを除いて全員がすれ違いでした。「飯能アルプスは飯能側から」みたいな暗黙のルールがあるのでしょうか。
多峯主山(とうのすやま)からの眺望は抜群で家族連れや若いアベックで賑わっていました。永田山から多峯主山へは道なき道を歩いた(迷った?)りもしました。

永田山の山頂を後にして多峯主山に向かいます。
ゆるゆると下っていくと左手前方に住宅団地が見えてきました。
ぎゅーっと登った小ピークのてっぺんからの眺めです。これだけたくさんの屋根を一望したのは初めてかもしれません。写真の左にも右にも屋根があります。
尾根上をのんびりと下ってきたんですが、道は左にカクッと曲がって尾根をはなれていきます。
「逃がすまい!」とばかりに尾根筋を下っていきます。なんとなく踏み跡はあります。
そこそこの急勾配を下ってきてしっかりした道に降り、
そのまま道の反対側の踏み跡をたどって谷地形にくだり、
そのまま対岸を登ると
車道です。そのまま車道を横断して向かいの石段を登ります。
キツい急登の途中でひと休み。
「石段があるくらいなら道も」という考えは大甘で、テキトーに登ってきて
なんとなくの踏み跡を登っていくと
なんとなくしっかりした踏み跡になって、
右手前方に小さな社が見えてきました。
社の正面です。屋根は破れ、空っぽでした。
先に進むと、踏み跡が尾根上か巻くか、微妙な分岐です。車道を渡ってこのあたりまでは地形図の破線をたどってきたはずです。スマホGPSでチェック。右ぽい。右に進むも尾根上に誘導されて破線からはなれていきます。
「まっ、いいか」と思いながら登っていくといきなりしっかりした登山道みたいな道にぶつかりました。2人組の若者男性トレイルランナーが楽しげに話をしながら登っていきました。帰宅後、調べると『新装版 奥武蔵 登山詳細図』は赤い実線(道標がある一般登山道)でちゃんと記載されている道でした。「ショートカットしたんだよね」と言うには無理があるし、迷った、コースを間違えた、とも違うような。まっ、どーでもいいか。登山道を登ります。
左手がビシッとフェンスで囲まれました。網目から覗くとソーラーパネルがずんずんずらずらと並んでいました。
メガソーラーのフェンス下を歩きます。
ハイキングの案内板を通過します。
階段を降りてきて
謎のコンクリート建造物が建つ沢のような湿地のような水たっぷりなゾーンを囲うフェンスに沿って歩き、
左へゆるく登っていく道へ。
土の階段がつづきます。木も石も使われていません。土を固めてつくられた階段だと思います。しっかりした造形です。雨でも流れないんでしょうか。足にやわらかく、野焼きされた土器の風合です。
トイレを通過し、ひと登りすると
多峯主山の山頂に到着です。
山頂からのほぼ360度の眺望を6分割で撮影しましたが、
案の定、
あまり
たいした写真は
撮れて
いませんでした。残念ではありますが、素晴らしい景色を眺めたという記憶だけは残っています。
右上がこれからめざす天覧山(てんらんざん)の山頂です。多峯主山を後にし、
鎖が張られた石段付き凹み道を下ります。
幅広の石段がつづいた後は
豪勢な道です。
「見返り坂」を下っています。
牧野富太郎博士が発見し、命名したハンノウザサかもしれない笹を激写。
湿地帯を歩きます。桜の手前の小さな橋を渡って左へ。
登って
天覧山の山頂、飯能アルプスの東端に到着です。これにて飯能アルプスの南部歩きはおしまいです。
山頂からの眺め。手前のテラスが目立つ写真ですが意味はありません。つまり、眺望が写っていないろくでもない写真、ということです。とほほ。『杖乃跡』(大町桂月 至誠堂書店 大正5 国立国会図書館デジタルコレクション)という旅行記の238ページに「能仁寺の後なる天覧山に上り候。山上に石の十六羅漢あり、獅子岩あり、眺望佳く候。もと羅漢山と稱せしが、明治十六年四月、この地方に近衞旅團の演習ありし時、明治天皇登臨あらせ給ひたるより、天覧山と稱する由に候。 天覧山は山と申しても、ほんの小さく且つ低き山にて、登路僅々五六町に過ぎず候。山麓にも、途中にも、頂上にも掛茶屋あり。」という記述があります。羅漢山と呼ばれる前は愛宕山だった、というのはよく知られた話らしいけれど茶屋はなくてもビアガーデンなんかがあってもよさそうなロケーションです。んっ、なんか話の筋がよじれたような。
天覧山の山頂を後にします。ひょっとして大町桂月のいう獅子岩ってこれなんでしょうか。
岩崖の石仏群です、十六羅漢のほかにたくさんの石仏があちらこちらで佇んでいます。案内板によると全部で24体の石仏と19基の舟形墓石が岩崖一帯に安置されているそうです。
かっかっかと大笑いする仏様もいたりしてもらい笑いしてしまいます。
石仏まみれの岩崖から下って、明治天皇が乗ってきた馬を繋いだ松の木が枯れた跡地の碑を過ぎ、能仁寺(のうにんじ)を過ぎると
車道の向こうがとっても賑やかです。車の切れ目を横断してついふらふらと踏み入ってしまい、
ついふらふらと屋台で生ビールを買ってふらふらと歩き飲み。帰宅後に調べるとここは中央公園でこの日は3月下旬から開催されている「平成7年 飯能春まつり」の最終日だったみたい。
山の神様、地権者の皆様、きょうもありがとうございました。飯能市民の皆様もわたくしの下山を桜とともに祝福していただきありがとうございます。ステージも用意されているようでしたが、さすがにそれは辞退させていただきました。また、よろしくお願いします。