奥多摩尾根歩き
浜立尾根

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今回は浜立尾根(はまたておね)を登り、滝子山東稜(たきごやまとうりょう)を下りました。山梨県への遠征です。
長い記録になったので浜立尾根滝子山東稜を分け、さらにそれぞれを2ページにして投稿します。尾根の名前は『大菩薩連嶺 中央沿線の山 登山詳細図』(吉備人出版)によります。
浜立尾根をなめていました。岩稜でルートどりを間違っただけかもしれませんがキッツい岩崖登りがあるなんて思いもしませんでした。
滝子山は秀麗富嶽十二景の一座。薄い雲に覆われていたけれど道中にも展望の広がるビューポイントがいくつもありました。
尾根の位置は下図を参照にしてください。
コース [START]JR中央本線笹子駅→(1時間15分)道証地蔵→(20分)浜立尾根取付→浜立尾根→(2時間10分)1246m標高点(寺平)→(1時間20分)浜立山→[GOAL](50分)滝子山
(5時間5分)
歩いた日 2024年7月6日(土)
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。

[START]JR中央本線笹子駅→(1時間15分)道証地蔵→(20分)浜立尾根取付→浜立尾根→(2時間10分)1246m標高点(寺平)


笹子駅から長い舗装道のアプローチを経て道証地蔵(みちあかしじぞう)からいきなり山歩きになります。大鹿川を渡り、小さな沢を渡り、小尾根をいくつか乗越して浜立尾根に取付きました。おだやかな登りで始まったんですがじょじょに勾配はキツくなり、岩がチラホラと出てきたりもしたんですが1246mの標高点あたりまでは雑木に覆われたのんびりした尾根でした。

おはようございます。JR中央線笹子駅です。10人ほどのハイカーが三々五々、出発していきました。駅を出ていきなり間違いました。駅前の甲州街道を反対方向に歩くこと5分ほど、中央自動車道が右手に見えることに、ん? となり引き返しました。
駅前の押ボタン式信号機で甲州街道を渡ると目の前が派出所です。右へ。ひたすらてくてくと歩きます。20分ほどで吉久保入口バス停です。「滝子山」「笹子駅」の道標が立っています。左折します。
JR中央線の吉久保ガードをくぐり、突き当りを右へ。稲村神社の角を左折します。
稲村神社に立ち寄ってみました。スギの大木がそびえ、道祖神がずらりと並んでいました。
道なりにゆるく登っていくと正面にぼこぼこした稜線が見えてきました。めざす尾根です。左から浜立尾根が登って浜立山や滝子山がピークをつくって右に滝子山東稜が下っています。
中央自動車道を原平橋という3000点賭けたくなる高架で渡ります。
ゲートです。てっきり左右どちらかの小さい扉を開閉するのだろうと思ったんですが、なんと正面のでっかい観音開きの扉の留め金をはずし、押し開いて通過します。
『詳細図』によるとこの道は大鹿沢大鹿林道という林道です。右は寂しょう尾根という尾根への分岐。警告板が立っていました。
「田通乃姥神」という男根に似た古い石像を通過します。この道が甲州街道の裏街道だったころのもので里人や旅人が無病息災、一路平安を祈願したらしい。
左手の鉄塔を過ぎると
すぐに「道証地蔵」の分岐です。ザックを降ろし、杖と軍手を引っ張り出します。タオルは駅で首に装着済み。ペットボトルに詰めてきたほうじ茶を飲んで準備完了です。
道証地蔵の左に「此方たの道」、右に「文政三年辰年」と彫られています。約200年前の地蔵です。左に突き出ているのはなんなのかな、と思ったらどうやら3本目の手でたの(田野)への道を指し示しているらしい。田野は大鹿峠を越えた山向こう。
林道をはなれ、大鹿川に降りていきます。
大鹿川を木橋で渡り、正面奥から流れ落ちている小さな沢をまたぎ、
しっかりした道を登っていきます。
小さな尾根をいくつか乗越し、めざす浜立尾根が見えてきました。
ここから取付きます。
尾根の下方は大鹿川に向かって扇状になだらかに広がっています。
登り始めてすぐにしっかりした作業道を横断。
登ってきて
登ります。なだらかにうねっています。
荒ぶるワイヤーを通過します。
光、風、葉っぱ、心地よいです。
右から登ってくる尾根と合流しそうです。
なんとなく右手を覗いてみたら尾根はえぐれていました。
右からの尾根と合流すると勾配がキツくなりました。
標高1100m(以降、「標高」は省略)あたりから尾根上に岩がばらばらと見えるようになりました。
古傷。
道中。
1190m圏でキツい勾配はおさまりました。
1248mの標高点あたりです。『詳細図』に寺平と記載されています。たしかに平坦な尾根がつづきます。