今回は不老山尾根(ふろうやまおね)を歩き、地形図の破線(徒歩道)をたよりに峰畑集落跡を訪ねました。
不老山尾根は奥多摩駅前の1番バス乗り場から5つめの不老バス停にいちばん近いピーク、不老山(677m)をてっぺんにして南北に走る尾根です。走るといったら大げさです。歩くといっても大げさなくらいごく短い尾根です。名前はテキトーです。
峰畑集落跡に建物は残っていませんがあちらこちらでいろんな生活道具が静かにじーっと土に還るのを待っていました。
※不老山を不動山と記載していたのを2024年6月23日に修正しました。混乱した方、ごめんなさい。アホやと思った方、そのとーりです。

不老山尾根、峰畑集落跡
■コース | [START]JR青梅線奥多摩駅→日原街道→不老林道→不老尾根→不老山→峰畑集落跡→寺地(日原街道)→[GOAL]JR青梅線奥多摩駅 (全部で4時間) |
■歩いた日 | 2024年6月15日(土) |
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。
不老山尾根は短いながらも起伏はそこそこ旺盛。くねっとした地形もあって、植林帯から左植林、右雑木になるといまの季節らしい葉っぱを愛でながらの急登をしのぐとピークです。
ピークからの下りはきわめておだやか。すぐに東京農業大学の立派な施設です。
峰畑集落跡に関してはぜひ本文をお読みください。


そこそこ思い悩み、どこかの尾根歩きの帰路に時間があれば歩こうと思っていたルートを思い出しました。時間が余ることなんてまずないのでそのままになっていたのが不老山尾根と峰畑集落跡を巡るルートです。


寺地バス停でスマホGPSを見ながら取付を思案していると、同じく駅から歩いてきたベテラン男性ソロハイカーがやってきました。妙指尾根を歩くという彼としばらくあーだこーだと話し、彼は少し先の日原川に架かる向寺地橋へ下っていきました。彼もきっとヘンタイ山歩キストに違いありません。





























左上は座禅研修でも行われていそうな純和風の建物です。坂道を登って玄関先に立つとひゅっと人影が見えて挨拶しようと思ったら格子に区切られたガラスに映った自分でした。ははは。












峰畑はNHKの『新日本紀行』が取りあげたことがあります。1971(昭和46)年10月25日に「東京過疎地帯~奥多摩~」というタイトルで放映されています。なんとか観てみたいと思って調べてみたんですがダメでした。安いとはいえない受信料を払っているんだから過去の番組にかんたんにネットからアクセスできるようにしてほしいものです。

(水槽や割れた水瓶、無傷の水瓶、アルミ鍋、蚊取り線香の缶、ひしゃくの先っぽ、赤玉ポートワインの空き瓶、キリンビールや缶詰の空き缶。暮らしの跡を見ると自分の時間軸がすーっと移動します)

(メーカー不明の噴流式電気洗濯機。大きなダイヤルはおそらくタイマーでその上はツマミの取れた強中弱のスイッチ。槽内の横っ腹に水流を起こす羽根が付いています)

(同書180ページより)

(敷地奥から。家々は急峻な土地に石垣で平地をつくっています。どーしてこんなところに? という問いはそのまま自分に向けると答えはわかるような気がします)

(ストーブ?)

(きっと豆脱穀機という農機具。手作業ではまかないきれない収穫があったのでしょう)

(集落を少し下って見上げる)

(同書179ページより)


自然の物音だけにつつまれた暮らしがここにあった。谷川の流れが風の吹きようで遠くなったり近づいたりする。虫の羽音だって聞きわけることができる。
引用はここまで。 次の写真から通常モードに戻ります。
(日当たりのいい場所は決まって畑跡のようです。静けさは山本さんの暮らしたときと同じに違いありません)




小さなワゴン車に寝具や芝居道具を詰め込んだ中条さんの旅は小河内、日の出村とつづき、番組はその姿を追っていきます。














山の神様、地権者の皆様、きょうもありがとうございました。今回は歴史の記憶からこぼれ落ちようとしている集落のたたずまいにココロ打たれました。今後ともなにとぞよろしくお願いします。
※6月19日の正午から日原街道の通行止は解除になり、バスの運行も再開したようです。