奥多摩尾根歩き
チクマ山南西尾根

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今回はチクマ山南西尾根を登り、チクマ山東尾根を下り、荏ノ久保山東尾根(えのくぼやまひがしおね)を下りました。
奥多摩駅をスタートして奥多摩町立氷川小学校の裏を歩き、奥多摩工業氷川工場を抜けて除ヶ野沢(よけのさわ)へ。除ヶ野沢を遡上し、除ヶ野沢とニタノセクボという沢の出合から中間尾根のチクマ山南西尾根ゴンザス尾根のチクマ山まで登ります。これで前半が終了です。
後半はまずチクマ山東尾根を下り、西川林道へ。西川林道を大根山ノ神まで歩き、杉ノ尾根(杉ノ殿尾根)の下部を荏ノ久保山までダーッと下り、荏ノ久保山から東へ荏ノ久保山東尾根を下ります。着地点は日原街道から入川谷(地形図は峰入川谷)沿いに北上する道路です。
着地点から青梅街道に出て東(左)へ歩き、古里駅前のセブン-イレブンで缶ビールを買えば尾根歩きは終了です。いや、駅の跨線橋の上で「乾杯!」ってひとり呟いたら尾根歩きは終了です。いや、どーでもいいか。
長めの記録なので前編「チクマ山南西尾根」と後編「チクマ山東尾根荏ノ久保山東尾根に分けます。このページは前編「チクマ山南西尾根」です。
※「標高」は省略しています。
コース [START]JR青梅線奥多摩駅→(20分)除ヶ野沢→(2時間)チクマ山南西尾根取付→チクマ山南西尾根→(2時間20分)チクマ山→チクマ山東尾根→(1時間10分)林道西川線→(15分)大根山ノ神→不動山→(20分)荏ノ久保山→荏ノ久保山東尾根→(50分)名称不詳道路→青梅街道→(25分)[GOAL]JR青梅線古里駅
(7時間40分)
歩いた日 2025年5月16日(金)
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。

[START]JR青梅線奥多摩駅→(20分)除ヶ野沢


チクマ山南西尾根はテキトーな名付けです。鉄の要塞のような氷川工場を抜ける除ヶ野沢までの古道、除ヶ野沢からニタノセクボ出合までの遡上、チクマ山南西尾根へのアプローチはとても刺激的でした。尾根は嫌というほど(実際「もーイヤ」って言った気がする)容赦のない急登だらけです。地形図を見ると東面が針葉樹林で植林っぽいので「快適な尾根道があったりして」などと思っていたんですが、甘かったです。そーとー甘かったです。
まずは奥多摩駅から除ヶ野沢、除ヶ野沢の遡上の途中まで。滝の高巻きでとんでもない崖登りを強いられました。「これはかなりヤバい状況じゃないの」などと無理やり冷静なふりをしなければならないくらいデンジャラスな這い上がりでした。

おはようございます。奥多摩駅です。
振り向いて奥多摩町観光案内所の前を歩き、路地を進みます。
奥多摩ビジターセンター横から登ってきた道に合流し、左折して踏切を渡り、
氷川屏風岩尾根への道なんかを分けてゴニョゴニョと歩き、氷川小学校の裏を歩き、
奥多摩工業氷川工場の領域へ。氷川工場の事業内容は「石灰石の選鉱、生石灰の製造・出荷、石灰石系砕石の製造・出荷」(奥多摩工業のホームページより)。24時間稼働しています。分岐は右の坂道へ。
この道は町道で、かつての(今もかな)生活道らしいです。鉄の要塞の隙間を歩きます。
要塞を抜けるとしっかり踏み固められた山道がつづきます。
分岐は登らず直進します。登りには「日原線No.7」の黄杭が立っていました。
除ヶ野沢に架かる曳鉄線(えいてつせん)が見えました。手前に鉱石を積んだ鉱車(トロッコ)、奥に空の鉱車が停車しています。「動いているのを見たい」としばらく待っていたんですが動かず。
曳鉄線は輪にしたロープに鉱車を数珠のようにつなげ、ロープを回転させて鉱車に積んだ荷を運ぶシステムです。『土木技術 社会と土木を結ぶ総合雑誌』(土木技術社 1954-05 16ページ 国立国会図書館)によると氷川工場から日原トンネルあたりまでの曳鉄線の総延長は約5km、その93%がトンネルなのでちょくせつ目にすることができるのはレアゾーンといえます。除ヶ野沢のほかは、最寄りのバス停でいうと寺地、白妙橋、岩松尾根で曳鉄線を見ることができます。白妙橋あたりでは体をぐぐっと縮めて見上げれば車窓からでも日原街道と日原川の上空を渡る曳鉄線見ることができます。不老と岩松尾根はちゃんと見に行こうとしないとたどり着けそうにない場所です。多分。
上は前の写真と同じ場所で撮影された昭和30年ごろの写真(前出『土木技術 社会と土木を結ぶ総合雑誌』より)です。先に進みます。
曳鉄線の下はワサビ田が広がっています。
除ヶ野沢を渡る橋が見えてきました。除ヶ野沢という名前は『奥多摩 登山詳細図(東編)』(吉備人出版)には「余毛野沢」と記載されていて、ほかにも「余ヶ沢」と呼ばれていたりします。けれども前出の『土木技術』のような古い雑誌では近在の除ヶ野という地名が付けた「除ヶ野沢」しか目にすることはなく、本記事では「除ヶ野沢」と呼ぶことにしました。一方、ニタノセクボという名前はまったく見かけなかったので『詳細図』の記載によることにしました。思いっきりダブルスタンダードです。
橋の上から。除ヶ野沢の上流方向です。遡上してチクマ山南西尾根の取付をめざします。右岸か左岸か。どう見ても右岸は無理。崖が切り立っています。
左岸はというと、モノレールに沿って踏み跡が登っています。バッチグーです。たどります。
けれどもすぐになかなかの難路に。キビシいトラバース(山腹水平移動)です。
上流に橋が見えます。けれども行く手はますます道じゃなくなってきました。「沢に降りるしかないか」と思っていたら
朽ちかけたというか朽ちた桟道が現れました。
桟道と山の間を進んでいったんですが、その先で立ち往生。引き返して桟道の下の踏み跡らしきものを下ってきました。振り返って、左上に朽ちた桟道、右に鉄製の桟道の残骸。荒々しい光景です。
橋につながる道まで這い上がってきました。
途中でモノレールからはなれなければ楽にここに来られたみたい。まっ、いいけど。
橋を渡るとワサビ田があって上流に滝が見えます。ちゃんと写っていませんがそこそこの高さがあり、左右どちらからも巻けそうにありません(と、このときは思い込んだんですが、もっと滝に近寄ってビシッと調べればよかったとすぐに激しく後悔することになります)。右岸はモノレールがのびているもののほぼ垂直の岩壁を這っている場所もあります。
ワサビ田の手前から左岸に取付き、滝を高巻くことにしました。
這い上がってきました。前の写真から50分ほど経っています。途中で写真を撮る余裕はなく、ましてや動画なんて無理。まったく無理。浮石だらけだし立木はまばら。滑落を防ぐには軍手で山肌を削りながらのルーツファインディング(登攀を支持する木の根を探ること)が必須です。生きるために地面を掘るイノシシの気持ちがわかるような、いや、わかりませんがかなり命がけではありました。
まだ上があります。絶望感に薄っすらと包まれます。
このあたりで沢から声が聞こえてきました。セミのように山肌にへばりついたまま見下ろしてみると沢登りの3人ほどのパーティが滝壺のあたりでなにやら話し合っていました。
セミ、這い上がります。
セミ、生き延びました。小尾根に乗り上げました。沢登りのパーティはすいすい(多分)と除ヶ野沢を遡上していったみたいです。
小尾根の下方。
上方。ここを登っていくと750mあたりでゴンザス尾根に合流するはずです。
再び下方。除ヶ野沢に下る踏み跡があります。滝を高巻いてそこそこ上流にきていると思っていたんですがスマホGPSを見てびっくり。水平距離はちっとも稼げていません。ただ垂直方向に登ってきただけです。こんなにシンドくてデンジャラスな高巻きは初めてです。
ちゃんと高巻きができているかも不明ですが、とにかく踏み跡をたどります。
薄い踏み跡は乗り上げた小尾根の右側を下っていきます。
石が詰まった涸れ沢を下ってきて
除ヶ野沢に降りました。どうやら滝は高巻けていたようです。やれやれ、です。
かろうじて左岸を歩けます。遡上再開です。
けれどもすぐにそうとうかなりとんでもなく歩行困難に。ところが、
ふふふ、右岸に石積に守られた道が見えました。沢を渡ります。まだ遡上できそうです。