二軒小屋セド尾根、松尾尾根(その2の1)

今回は二軒小屋セド尾根(にけんごやせどおね)を登り、松尾尾根(まつおおね)を下りました。
3か月ぶりの尾根歩きです。2018年の暮れ、当分の間は土日も遊べない量の仕事に取りかかることになり、ついでに一足しかない登山靴の靴底の貼り替えを依頼。ようやく時間が取れるようになりました。というか、ド暇です。なーんもやることありません。
まっ、そんなことはともかく二軒小屋セド尾根は天祖山(てんそさん)をてっぺんにして南西に伸びて日原川(にっぱらがわ)に落ち込んでいる、あまり目立たない地味な尾根です。セドって裏口という意味らしいです。やっぱり地味です。すぐ東には赤石尾根(あかいしおね)というそこそこメジャーな尾根があります。
下りに歩いた松尾尾根は、天祖山から南東へ八丁橋(はっちょうはし)へ下る表参道の途中ににある1355mのピーク(大ナラノタワ)から南に伸びている尾根です。こちらもそこそこ地味な尾根です。『奥多摩 登山詳細図(西編)』(吉備人出版社)にひっそりと文字だけが掲載されています。
二軒小屋セド尾根の取り付きまで東日原のバス停から2時間ほど歩いたのですが、足は重いし体は重いし、靴紐を締めながら「きょうはもう十分。体慣らし終了、ということで帰るか」などと弱気モードでの尾根歩き開始でした。

コース JR青梅線奥多摩駅→[START]東日原バス停→日原林道→(50分)八丁橋→(1時間10分)二軒小屋セド尾根→(2時間)天祖山→表参道→(1時間)1355mピーク→松尾尾根→(1時間20分)日原林道→(1時間40分)[GOAL]東日原バス停→JR奥多摩駅
歩いた日 2019年3月16日(土)
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。


[START]東日原バス停→日原林道→八丁橋→二軒小屋セド尾根→天祖山


二軒小屋セド尾根は淡々とした尾根でした、ってよくわかりませんよね。新緑の頃はかなりキレイなはず。


おはようございます。東日原バス停から歩き始めました。雲ひとつある晴天です。

稲村岩(いなむらいわ)も元気そうです。

小川谷橋(おがわだにばし)を渡って左へ。林道日原線を歩きます。

伊勢橋(いせはし)を渡ります。

八丁橋(はっちょうはし)を渡ります。

天祖山への登山口を通過します。

ヤケト尾根へはここから日原川に下降しました。水色の看板が目印ですが、看板には「通行禁止」と描かれています。悩ましいです。

グサッという感じで防護柵に木が刺さっています。

うまくいけばこの階段で林道に下りることになるはずです。うまくいかないと大変ですが。

一応、スマホGPSで位置をチェック。

上のほうの写真も撮っておきます。

ここはツバノ尾根を歩いたときの日原川への下降点です。

名栗沢橋(なぐりさわはし)を渡ります。

どこかに行ける階段。

ちょっと休憩。足が重いです。水を飲んで天祖山方向をビシッと睨んで出発です。が、方角がはっきりしないので目が泳ぎます。

工事事務所を過ぎ、工事現場を通過します。工事事務所には自由に使っていいという仮設トイレがあり、緊急時に使わせてくれる衛星電話もあるようでした。

この階段から赤石尾根と大ブナ尾根を歩きました。

唐松林道(からまつりんどう)、野陣尾根(のじんおね)への分岐を通過します。

十中八九、あれがターゲットの二軒小屋セド尾根です。

名称不明の涸れ沢に架かった橋の向こうあたりから尾根に取り付きます。

尾根の先端はもう少し向こうの画像中央あたりですが、どう見てもあの斜度はわたくしには無理です。

この白い看板の裏にそこそこしっかりした道が続いています。右が涸れ沢です。

振り返るとこんな風景。山の上のほうは白いです。

足元には「No.1 路面かき均」の木杭。路面をかきならした、ということでしょうか。ありがとうございます。歩かせていただきます。

かなり登ったよね、と思ったけどさっきの橋はまだすぐそこ。しんどいです。

歩きやすい道がくの字くの字で続いていたんですが、できるだけ早く本筋の尾根に乗るべく、左の山肌を登ることにしました。

こんなところです。かなり急坂です。

何とか尾根に乗りました。

尾根を登ります。

どうやらもう一つ隣が本筋のようです。そちらに向かいます。

尾根に乗りました。これが二軒小屋セド尾根のはずです。

下のほうはこんな感じ。

急坂です。

今シーズン初めて足元で雪を見ました。

1250mあたりで急坂がやみ、平になりました。テキトーに高みを目指します。

がんじがらめな木たち。

突然、赤テープが現れました。このあと、所々で見かけましたが、いつの間にか見なくなりました。

崩れた小屋を通過します。白い看板には「御成婚記念事業日原都行造林地」とありました。植栽年度は「昭和46年〜昭和48年」。どなたのご成婚か、ちょっと調べてみたけれどまったくわかりませんでした。

こんなイイ感じの尾根を歩きます。

振り返った景色。石尾根が見えているはずです。

木立の向こう、左(西)側の尾根はナギ谷オキ尾根らしいです。あの尾根もかなり地味ーな尾根です。

何かの残骸を通過します。

そこそこの急坂は続きます。

かつて歩いた赤石尾根の方向をビシッとにらみながら、水を飲みながら、ずり落ちたズボンを引き上げながら、休みます。

登ってきて、

登ります。

雪は増えてきて、

テキトーに高みを目指します。

わたくしのま新しい靴底が残した足跡。

あのてっぺんが天祖山のはずです。

どんどん雪は深くなっていきます。

登ってきました。かなりバテバテです。

あちらは赤石尾根のはず。

もっと登ってきました。しんどいです。雪が苦痛になってきました。ずっと向こうに見えているのは七ツ石山や高丸山なんかだと思います。

しばらく平らな地形が続きます。

つぼ(壺)足というほどのことはないけれど、盃足よりはもっと深く、湯飲み茶碗足くらいかな、などと思いながらズボッズッ、ズジャボッ、と進んでいきます。

何を撮りたかったのか忘れてしまった景色。

この日いちばんズボッとなった場所。

やっとのことでゴールのようです。

天祖山の頂上に建つ天祖神社です。天祖神社は廃仏毀釈のなかで明治初期に誕生した新興神道の一つ「天学教」の神社。天学教の開祖は服部国光という人で、この天祖山(かつての名は白石山)で荒行を積んだらしい。荒行の成果か、白い紙に光明が浮かび、それを書き取ったら「天学」という文字だった、と本人が書き記しています(『神位天真経講義』)。肝心の教義ですが、農民救済を基盤にしていたくらいしかわたくしにはわかりません。ただ、「天祖神道神人一心 天地正開神世至全」を唱えており、なんとなく薄ーくわかるような気もします。明治後期から大正に最盛期を迎え、養蚕家をはじめとする農民や樵など10万人以上の信者を擁したといいます。
神奈川県横浜市に天学教会本院があり、いまも毎年8月にここ天祖神社で神事が行われているようです。

なにはともあれ、二軒小屋セド尾根を歩き通しました。イェーイ、ですが体力の残量があまりない感じがします。

あっちは長沢背稜へ向かう道です。裏参道というらしいです。梯子坂尾根(はしござかおね)という名前もあるようです。
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