奥多摩尾根歩き
檜尾根、高丸山赤指尾根、日蔭名栗山南尾根

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今回は檜尾根(ひのきおね 桧尾根)、高丸山赤指尾根(たかまるやまあかざすおね)を登って高丸山まで、高丸山から日蔭名栗山南尾根(ひかげなぐりやまみなみおね)を下って峰谷バス停まで歩きました。
檜尾根と高丸山赤指尾根は石尾根上にある高丸山から北西から北東に向けて伸びている尾根です。日原川(にっぱらがわ)と唐松谷(からまつだに)の出合いあたりから檜尾根をグイーンと登り(そんな単純なものではありませんでしたが)、右(西)から合流してくる高丸山赤指尾根に乗って高丸山に至るというルートを歩きました。桧尾根には2つの厳しい関門がありました。1つは唐松谷の徒渉。まあ、裸足になってサッサと渡ってしまえばよかったんですが、面倒なので(より厄介な)谷沿いを必死に移動して、倒木や岩の上を四つん這いになって進んでようやく渡ることができました。そして2つめ。四つん這いはここだけでは終わらず、序盤の崖登りでも根っこや岩のトンガリを探しながら這いつくばるような激登でした。
下りは千本ツツジから赤指尾根を歩くつもりでしたが、あまりの体力消耗で計画変更。より短時間で里に下りられる日蔭名栗山南尾根を歩きました。
今回の檜尾根と高丸山赤指尾根は石尾根の北に伸びる主だった尾根のなかで、わたくしが日帰りで歩くことができる最後の尾根です。これまで東から見通尾根十二天尾根日陰指尾根山ノ神尾根タル沢尾根カラ沢尾根ネズミサス尾根稲村岩尾根巳ノ戸尾根と鷹ノ巣尾根ヤケト尾根ツバノ尾根を歩いてきました。あとは野陣尾根(のじんおね)が残っていますが、ここはわたくしの体力で日帰りは難しそう。木々の緑が濃いときにどこかで一泊して歩いてみたいと思っています。
コース JR青梅線奥多摩駅→[START]東日原バス停→(45分)八丁橋→(1時間10分)富田新道、唐松谷林道入口→(30分)檜尾小屋跡→檜尾根→高丸山赤指尾根→(3時間)高丸山→日蔭名栗山南尾根→[GOAL](2時間30分)峰谷バス停
歩いた日 2018年04月30日(月)
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。

JR青梅線奥多摩駅→[START]東日原バス停→八丁橋→富田新道、唐松谷林道入口→檜尾小屋跡→檜尾根→高丸山赤指尾根→高丸山


檜尾根はペース配分など考える余裕もない激登でした。高丸山赤指尾根はグロッキー状態のわたくしをじんわりじんわりと痛めつけ続けました。全行程、自然林のなかを歩きます。

おはようございます。JR青梅線奥多摩駅です。「川乗橋」行きが1台増便されました。その後に出発した東日原行きに乗りました。
東日原バス停に到着。十数人降りました。日原は久しぶりです。調べてみると2017年12月16日にツバノ尾根と日蔭名栗山南尾根を歩いて以来です。つまり、今年初めての日原ということになります。だからどうだということは一切ありませんが、まーそーゆーことです。
稲村岩を眺めながら日原鍾乳洞に向かって歩きます。
小川谷橋(おがわだにばし)を渡って左へ、林道日原線を歩きます。
伊勢橋(いせはし)を渡ります。
氷川工業の鉱山入口を通過します。
「ガニ沢出合いのカツラ」。中央の黒っぽい木です。
前方右に林道孫惣谷(まぐそだに)線へ入る橋が見えてきました。
八丁橋を通過します。
すぐ右手は天祖山(てんそざん)への登山口。その先のゲートを右横から通り抜けていきます。
日原林道の深部に向かってテクテク歩きます
ヤケト尾根の取り付きへの下降点を通過します。ヤケト尾根を歩いたのはもう3年半くらい前のことなんですが、吊り橋までの急降下や吊り橋からのグズグズの急登はよく覚えています。
ツバノ尾根の取り付きへの下降点を通過します。ツバノ尾根は2017年12月16日に歩いています。ここは日原川へ下りるまで、肝を冷やしっぱなしでした。その一方、下調べでは日原川を丸太で渡らなくてはならないということだったんですが、現場は丸太に何本もの流木が絡みついていてそれほど苦労しなくて済みました。今はどうなんでしょう。
あの遠くに見える茶色い大きそうな木は「鍛冶小屋くぼのトチノキ」のはずです。切り替え画像はずっと先で撮影した案内板。
名栗沢橋(なぐりさわはし)を渡ります。正面やや上にに見える木が「名栗沢のトチノキ」です。
これは天祖山中腹道(水源巡視道)をウロウロしたときに登った階段です。
ようやく富田新道、唐松谷林道への入口に到着しました。東日原バス停から約2時間かかっています。
ザックから軍手を出し、首のタオルをかけ直し、杖を伸ばして正装の準備をしていると目の前にヤマカガシがいました。じっと動きません。
水をグビグビグビッと飲み、日原川に向かって下っていきます。
ちょっとビビります。
右に吊り橋が見えてきました。左は唐松谷のはずです。
吊り橋を渡ります。
すぐに判読しづらい道標が立っています。唐松谷沿いの道や野陣尾根(富田新道)は右へということのようです。檜尾根へは唐松谷を渡らなくてはならないのでそのまま直進します。ビシッと道があります。
ビシッとした道はほんのちょっとしか続きません。振り返るとこんな感じで、滑り落ちると濡れるだけではすみそうにありません。黒い木の根元に道標の支柱が見えています。
眼下の唐松谷をどう渡るのか、じっと渓相を眺めます。と書くとなにやら達人っぽいですが、「靴や靴下を脱ぐのはメンドーだから嫌、飛び石でピョンピョンと渡れないものか、あそこはイイ感じだけど自前の股下ではとうてい無理、かといってあそこは石の上を水が被っていて乗ると小平選手より滑りそう」などと思うばかりで、へっぴり腰をグッと伸ばすような前向きで有効なルートはなかなか見つかりません。そしてようやく、あの奥に見える流木のあたりからだと対岸に渡れそう、と目星を付けます。
ただ、その流木にたどり着くまでが一苦労でした。下流側は150cmほど、上流側は180cmはある薄い石碑みたいな岩を乗り越えなくてはなりませんでした。中央が目指す流木です。
ただ今、流木の上を四つん這いでじりじりと進んでいます。
右奥から流木を渡ってきました。これから左端に見えている大岩を四つん這いで進みます。怖くてとてもじゃないけど立てません。
で、なんとか対岸に渡りきりました。
下流に向かって少し歩き、対岸に先ほどの道標が見えるあたりで、
なぜかビシッと道が復活します。どうやら、かつては前の写真の手前から対岸の道標あたりに橋が架かっていたようです。橋の続きがこのビシッとした道だと解釈すれば腑に落ちます。
左手に谷川がみえました。マミ谷という谷だと思います。
鍋?
石垣が見えてきました。
その石垣の上に登ると、広い平らな場所に出ました。ここは檜尾小屋の跡地らしいです。
檜尾根はその敷地の真裏から登ります。なんとなく「農林省」と東京都の鳥獣保護区の看板の間から登り始めました。
すぐに激登です。テキトーにしがみついて登っていくんですが、左右が深い谷なのでできるだけ直登を心がけます。
少し登って下を覗きます。朽ち木や浮き石が多いのですが、しっかりつかむことのできる大小、長短の根っこがたくさんあります。
ただ、その網目状の根っこに枯れ葉や苔、浮き石が堆積して、手でつかめても足場の確保には難儀します。
見上げれば勾配が減るわけではないんですが、何度も見上げてしまします。
腕を伸ばして登ってきた崖を撮影。
いきなりヤセ尾根になりました。
激登の痕跡を宿した軍手を激写。
ヤセ尾根にも程があるヤセ尾根を歩きます。
落ちたら一巻の終わり。二巻めはないでしょう。
急登が続きます。
新緑を愛でるというか、休憩というか、回数が増えてきました。
東京市水道局の標柱。そういえば、檜尾根では赤テープなどのマークを一片も見ませんでした。
檜尾根はその名前の通りヒノキの大木が多かったように思います。
1170mあたりでマミ谷の右岸尾根を見ながら休憩。
急登の先に青空が広がっていると、そんなわけない、とわかっちゃいるけどキツい尾根歩きも終了かと期待してしまいます。
1300mあたりの平らな場所が、
ちょっぴり続きます。
何かに使えそうだけど、その何かが思い浮かばない朽ちた木。
急坂とちょっと穏やかな坂のセットが次から次へと襲いかかります。
1360mあたりから西南西方向を眺めながら休憩。あのピークは七ツ石山でしょうか。
1360mあたりの平らな場所をゆっくり踏み噛みしめながら歩きます。
右から尾根が近寄ってきました。あれが高丸山赤指尾根のはずです。

そろそろ合体か。
合体! と思ったら、
合体はせず、なんとも不思議な地形で、テキトーに向こうの尾根に乗ります。
左にグーッと曲がってこんな幅広の尾根を歩きます。
枯れたササが一面に広がっていました。シカかカモシカかその両方か、糞はたくさん落ちていました。食害なのでしょうか、ササの寿命なのでしょうか、気候のせいなのでしょうか。同時(おそらく)に同じ事象が多数に起こる、ということは気になります。
広々として表裏なさそうな尾根ですがだまされてはいけません。檜尾根で使い込んでしまった体力の残量を見切って嘲笑っているに違いありません。
1590mあたりからの西南西の眺めといいつつ、またも休憩。
見下ろすとそこそこ急坂です。
あと一息のはず。
何息もしたのに先が見えません。
1660mあたりから西北西の眺め。なかなか足が前に進みません。
嫌がらせとしか思えません。
向こうに見えるのはツバノ尾根の最上端のはず、希望的観測を炸裂します。
あの先はさすがに何もないはず。
こんな所を登ってきて、やっと
高丸山(1733m)の山頂に到着しました。